不思議活性

民衆画家 フランシスコ・デ・ゴヤ

 『民衆画家 フランシスコ・デ・ゴヤ』



 画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)は、ベラスケスとともにスペイン最大の画家と謳われ、ロココ美術の末期にあたり、繊細な自然の光を多用した明暗に富む作風で、1789年にスペインのカルロス4世の宮廷画家となり国王一家の肖像画などを描きました。
 そのように、長いこと絵画は宗教によって、王侯によって、貴族上流社会によってひとりじめにされてきたのですが、ゴヤをとおしてはじめて絵画はルーベンスの作品におけるように流動し、脈打ち、私たちの鼓動と重なったということを知った私です。そう、ゴヤは最後まで、一個の私に殉じようとする民衆の画家であったのです。
 こう記す私ですが、実際、画家ゴヤについて、ほとんど何も知らないと言っていいのですが。ただ、『裸のマハ』『着衣のマハ』の絵を若かりし頃、新聞の挿絵として見ていて、その切り抜きが今でもあります。
 この二作品は、ゴヤの愛人であったアルバ公夫人をモデルにしていると言われていますが、スペインで初めて、神話ではない本当の人間の女性の裸体を描いた絵画であったということです。
 
 『裸のマハ』 (1800年頃)



 『着衣のマハ』 (1800年頃)



 あと、ゴヤの二つの作品の紹介です。

 『マドリード』 (1808年)



 解説より。大きな角燈の不気味な光に照らされて、スペイン人の反乱者たちがフランスのマドリード占領軍によって処刑されている。 ゴヤの視線は、殉教のキリストのように両腕を伸ばした中央の男に焦点を合わせている。
 ゴヤ68歳の作品ということで、私はゴヤの体力と精神力に驚きです。私自身は50歳ごろに油絵を描くということから遠ざかっているのです。
 尚、このゴヤの『マドリード』をオマージュした作品をマネとピカソが残しています。

 『砂に埋もれる犬』 (1820年 - 1823年)



 70代半ばのゴヤが1819年から1823年にかけて一人で暮らし、深刻な精神的・肉体的苦痛に苦しんでいたときに、自身の邸宅キンタ・デル・ソルドの屋内の壁面に描いた14点の壁画連作の1つで、これら14点の壁画は暗い顔料や黒を多用したこと、また主題が暗いことから、《黒い絵》として広く知られています。
 そのうち『砂に埋もれる犬』はキンタ・デル・ソルド2階のドアの横の壁面に描かれたもので、《黒い絵》の中で最も神秘的かつ謎めいた作品であると。

      * * * * * * * *

 ゴヤは晩年になっても創作意欲は衰えず、友人たちの肖像画以外にも新たな技法の実験を試み表現の可能性を追求し、加齢による視力の低下から緻密な作業をともなう銅版画に代わってデッサンのように自由に描ける石版画やコンテによる素描を好んで使うようになったと。その創作意欲には驚きです。
 1828年4月16日、中風の発作によりボルドーのアパルトマンにて死去。享年82歳でした。

 混乱の時代を真の民衆画家として生きたフランシスコ・デ・ゴヤ。ゴヤに限らず、『一枚の絵画と詩』に関連して調べていくと、私が紹介しようとした画家たちのエネルギーのすごさには脱帽です・・・・。
 趣味として描いてきた私ですが、描くことの情熱のパワーを少しでも受け取ることが出来たらなと思う私です・・・・。

                   一枚の絵画と詩


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