不思議活性

賢治童話と私  風野又三郎 九月二日



  九月二日

 次の日もよく晴れて谷川の波はちらちらひかりました。
 一郎と五年生の耕一とは、丁度午后二時に授業がすみましたので、いつものように教室の掃除をして、それから二人一緒いっしょに学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で一杯になっていました。そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで行って見ようと相談しました。二人は鞄をきちんと背負い、川を渡って丘をぐんぐん登って行きました。
 ところがどうです。丘の途中の小さな段を一つ越こえて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の鼠色のマントを着た変な子が草に足を投げ出して、だまって空を見上げているのです。今日こそ全く間違いありません。たけにぐさは栗の木の左の方でかすかにゆれ、栗の木のかげは黒く草の上に落ちています。
 その黒い影は変な子のマントの上にもかかっているのでした。二人はそこで胸をどきどきさせて、まるで風のようにかけ上りました。その子は大きな目をして、じっと二人を見ていましたが、逃げようともしなければ笑いもしませんでした。小さな唇を強そうにきっと結んだまま、黙って二人のかけ上って来るのを見ていました。
 二人はやっとその子の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も云えませんでした。耕一などはあんまりもどかしいもんですから空へ向いて、
「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐はいてしまおうとしました。するとその子が口を曲げて一寸笑いました。
 一郎がまだはあはあ云いながら、切れ切れに叫びました。
「うなぁ誰だ。何だうなぁ。」
 するとその子は落ちついて、まるで大人のようにしっかり答えました。
「風野又三郎。」
「どこの人だ、ロシヤ人か。」
 するとその子は空を向いて、はあはあはあはあ笑い出しました。その声はまるで鹿の笛のようでした。それからやっとまじめになって、
「又三郎だい。」とぶっきら棒に返事しました。
「ああ風の又三郎だ。」一郎と耕一とは思わず叫んで顔を見合せました。
「だからそう云ったじゃないか。」又三郎は少し怒ったようにマントからとがった小さな手を出して、草を一本むしってぷいっと投げつけながら云いました。
「そんだらあっちこっち飛んで歩くな。」一郎がたずねました。
「うん。」
「面白いか。」と耕一が言いました。すると風の又三郎は又笑い出して空を見ました。
「うん面白い。」
「昨日何して逃げた。」
「逃げたんじゃないや。昨日は二百十日だい。本当なら兄さんたちと一緒にずうっと北の方へ行ってるんだ。」
「何して行かなかった。」
「兄さんが呼びに来なかったからさ。」
「何て云う、うなの兄なは。」
「風野又三郎。きまってるじゃないか。」又三郎は又機嫌を悪くしました。
「あ、判わかった。うなの兄なも風野又三郎、うなぃのお父さんも風野又三郎、うなぃの叔父さんも風野又三郎だな。」と耕一が言いました。
「そうそう。そうだよ。僕はどこへでも行くんだよ。」
「支那へも行ったか。」
「うん。」
「岩手山へも行ったが。」
「岩手山から今来たんじゃないか。ゆうべは岩手山の谷へ泊ったんだよ。」
「いいなぁ、おらも風になるたぃなぁ。」
 すると風の又三郎はよろこんだの何のって、顔をまるでりんごのようにかがやくばかり赤くしながら、いきなり立ってきりきりきりっと二三べんかかとで廻りました。鼠色のマントがまるでギラギラする白光りに見えました。それから又三郎は座って話し出しました。
「面白かったぞ。今朝のはなし聞かせようか、そら、僕は昨日の朝ここに居たろう。」
「あれから岩手山へ行ったな。」耕一がたずねました。
「あったりまえさ、あったりまえ。」又三郎は口を曲げて耕一を馬鹿ばかにしたような顔をしました。
「そう僕のはなしへ口を入れないで黙っておいで。ね、そら、昨日の朝、僕はここから北の方へ行ったんだ。途中で六十五回もいねむりをしたんだ。」
「何なしてそんなにひるねした?」
「仕方ないさ。僕たちが起きてはね廻っていようたって、行くところがなくなればあるけないじゃないか。あるけなくなりゃ、いねむりだい。きまってらぁ。」
「歩けないたって立つがねまるかして目をさましていればいい。」
「うるさいねえ、いねむりたって僕がねむるんじゃないんだよ。お前たちがそう云うんじゃないか。お前たちは僕らのじっと立ったり座ったりしているのを、風がねむると云うんじゃないか。僕はわざとお前たちにわかるように云ってるんだよ。うるさいねえ。もう僕、行っちまうぞ。黙って聞くんだ。ね、そら、僕は途中で六十五回いねむりをして、その間考えたり笑ったりして、夜中の一時に岩手山の丁度三合目についたろう。あすこの小屋にはもう人が居ないねえ。僕は小屋のまわりを一ぺんぐるっとまわったんだよ。そしてまっくろな地面をじっと見おろしていたら何だか足もとがふらふらするんだ。見ると谷の底がだいぶ空いてるんだ。僕らは、もう、少しでも、空いているところを見たら、すぐ走って行かないといけないんだからね、僕はどんどん下りて行ったんだ。谷底はいいねえ。僕は三本の白樺の木のかげへはいってじっとしずかにしていたんだ。朝までお星さまを数えたりいろいろこれからの面白いことを考えたりしていたんだ。あすこの谷底はいいねえ。そんなにしずかじゃないんだけれど。それは僕の前にまっ黒な崖があってねえ、そこから一晩中ころころかさかさ石かけや火山灰のかたまったのやが崩れて落ちて来るんだ。けれどもじっとその音を聞いてるとね、なかなか面白いんだよ。そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のように見えたぜ。」
「そうだ。おら去年烏瓜の燈火こさえた。そして縁側へつるして置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
 すると又三郎は噴き出してしまいました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗だったねい、だから僕がいきなり衝き当って落してやったんだ。」
「うわぁい。」
 耕一はただ一言云ってそれから何ともいえない変な顔をしました。
 又三郎はおかしくておかしくてまるで咽喉を波のようにして一生けん命空の方に向いて笑っていましたがやっとこらえて泪を拭きながら申しました。
「僕失敬したよ。僕そのかわり今度いいものを持って来てあげるよ。お前んとこへね、きれいなはこやなぎの木を五本持って行ってあげるよ。いいだろう。」
 耕一はやっと怒るのをやめました。そこで又三郎は又お話をつづけました。
「ね、その谷の上を行く人たちはね、みんな白いきものを着て一番はじめの人はたいまつを待っていただろう。僕すぐもう行って見たくて行って見たくて仕方なかったんだ。けれどどうしてもまだ歩けないんだろう、そしたらね、そのうちに東が少し白くなって鳥がなき出したろう。ね、あすこにはやぶうぐいすや岩燕やいろいろ居るんだ。鳥がチッチクチッチクなき出したろう。もう僕は早く谷から飛び出したくて飛び出したくて仕方なかったんだよ。すると丁度いいことにはね、いつの間にか上の方が大へん空いてるんだ。さあ僕はひらっと飛びあがった。そしてピゥ、ただ一足でさっきの白いきものの人たちのとこまで行った。その人たちはね一列になってつつじやなんかの生えた石からをのぼっているだろう。そのたいまつはもうみじかくなって消えそうなんだ。僕がマントをフゥとやって通ったら火がぽっぽっと青くうごいてね、とうとう消えてしまったよ。ほんとうはもう消えてもよかったんだ。東が琥珀のようになって大きなとかげの形の雲が沢山浮んでいた。
『あ、とうとうけ消だ。』と誰かが叫んでいた。おかしいのはねえ、列のまん中ごろに一人の少しとしとった人が居たんだ。その人がね、年を老って大儀なもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸とりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、
『引っ張るなったら、先刻たがらいで処さ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫んだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔の火口のあとにはいって僕は二時間ねむった。ほんとうにねむったのさ。するとね、ガヤガヤ云うだろう、見るとさっきの人たちがやっと登って来たんだ。みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラリバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青の山脈や杉ごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下にはお苗代や御釜火口湖がまっ蒼に光って白樺の林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老りがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ。怒っていたねえ。それでも頂上に着いてしまうとそのとし老りがガラスの瓶びんを出してちいさなちいさなコップについでそれをそのぷんぷん怒っている若い人に持って行って笑って拝むまねをして出したんだよ。すると若い人もね、急に笑い出してしまってコップを押し戻していたよ。そしておしまいとうとうのんだろうかねえ。僕はもう丁度こっちへ来ないといけなかったもんだからホウと一つ叫んで岩手山の頂上からはなれてしまったんだ。どうだ面白いだろう。」
「面白いな。ホウ。」と耕一が答えました。
「又三郎さん。お前はまだここらに居るのか。」一郎がたずねました。
 又三郎はじっと空を見ていましたが
「そうだねえ。もう五六日は居るだろう。歩いたってあんまり遠くへは行かないだろう。それでももう九日たつと二百二十日だからね。その日は、事によると僕はタスカロラ海床のすっかり北のはじまで行っちまうかも知れないぜ。今日もこれから一寸向うまで行くんだ。僕たちお友達になろうかねえ。」
「はじめから友だちだ。」一郎が少し顔を赤くしながら云いました。
「あした僕は又どっかであうよ。学校から帰る時もし僕がここに居たようならすぐおいで。ね。みんなも連れて来ていいんだよ。僕はいくらでもいいこと知ってんだよ。えらいだろう。あ、もう行くんだ。さよなら。」
 又三郎は立ちあがってマントをひろげたと思うとフィウと音がしてもう形が見えませんでした。
 一郎と耕一とは、あした又あうのを楽しみに、丘を下っておうちに帰りました。

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