goo blog サービス終了のお知らせ 

不思議活性

ちょっとした幸せを感じられたらな

葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 17

2025-04-11 05:41:52 | 富嶽三十六景
17 「甲州三嶌越」(こうしゅうみしまごえ)


本作品は山梨県富士吉田市から静岡県御殿場市を経由し、三島市に抜ける道中の難所、籠坂峠付近の山道から見える富士山を描いたものと考えられています。
 画面を貫くように巨木を配し、富士山の優美な稜線を分断する大胆な構図です。その巨木に、3人の旅人が手をつないで太さを計測しようとしている姿が描かれていて面白いですね。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 16

2025-04-09 06:00:20 | 富嶽三十六景
16 「遠江山中」(とおとうみさんちゅう)


本作品は静岡県西部地方を指す遠江の名を冠しています。画面中央に斜めに大きく配置された角材とそれを支える支柱が描かれ、支柱の間から富士山を見せるという幾何学的で大胆な構図となっています。
 下には、大鋸の目立てをする職人とその様子を見守る赤ん坊を背負った女、たき火番をする子供の姿が見られます。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 15

2025-04-05 05:35:12 | 富嶽三十六景
15 「信州諏訪湖」(しんしゅうすわこ)


諏訪湖は長野県岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる湖で、北斎の「信州諏訪湖」は突き出した崖のような場所から俯瞰した湖を描いています。
手前に祠と二本の松を、左手奥に高島城と八ヶ岳、そして富士山を収めた構図で、諏訪湖の静謐な雰囲気が感じられます。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 14

2025-04-03 04:57:13 | 富嶽三十六景
14 「甲州石班澤」(こうしゅうかじかざわ)


図は甲府盆地を潤す釜無川と笛吹川が合流して富士川となる地点の鰍沢(山梨県富士川町)を描いています。当地は富士川舟運の拠点で、兎の瀬と呼ばれる難所でありました。
画面中央には岩場から波打つ富士川に向かう漁師の姿が描かれ、その傍らには魚籠をのぞく子供が描かれています。



葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 12

2025-03-28 05:52:56 | 富嶽三十六景
12 「武陽佃嶌」(ぶようつくだじま)


武陽とは江戸の異称であり、本図は隅田川河口付近の東京都中央区に位置する佃島および石川島の風景と、そこから見える富士山を描いた作品である。中央の船に描かれた山積みの荷は、富士の形と相似させている他、島と船の大きさをアンバランスに描くことで、船の細部へと着目できるような構成となっています。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 11

2025-03-26 05:51:07 | 富嶽三十六景
11 「相州七里浜」(そうしゅうしちりがはま)


本図は神奈川県鎌倉市南西の相模湾に面した七里ヶ浜からの富士山の眺望を描写しています。七里ヶ浜は約3キロに渡る砂浜で、富士山を正面に捉えていることから、東側の稲村ヶ崎周辺より描かれたものと考えられ、位置関係より、画面中央部の岬が小動岬、左側の島が江の島と推測できます。
背景に大きく富士山を配し、人の姿は描かれていません。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 10

2025-03-20 06:11:12 | 富嶽三十六景
10 「武州玉川」(ぶしゅうたまがわ)


水量豊かな多摩川が画面中央に鎮座し、その先には、霞を挟んで雄大な富士山が高くそびえる。周辺に人家はなく閑散としており、手前の土坡上で馬を牽く男と、柴を積んだ船を操る船頭と乗員のみが描かれています。
川面に一艘の船が浮かび、たなびく霞の向こうに富士山を望む情景は、昔の自然豊かな多摩川を想像させます。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 9

2025-03-18 05:58:15 | 富嶽三十六景
9 「東都駿台」(とうとすんだい)


本図は東京都千代田区神田にある神田川南岸の駿河台からの景色を描写しています。手前の家屋と対岸の土手の盛り上がりの間に、お茶の水坂の往来と神田川を描き、その先に広がる空の下に駿河台や小川町の家並み、そして彼方に富士山を描いています。


葛飾北斎と私 『富嶽三十六景』 8

2025-03-16 06:05:30 | 富嶽三十六景
8 「青山円座松」(あおやまえんざまつ)


本作品は現代の東京都渋谷区神宮前にある龍巌寺にあった銘木・円座松(笠松とも)と、その背後に聳える富士山を描写した図です。
北斎は、小山のように盛り上がった姿で円座松を表現しています。手前には、親子連れと酒を組み交す男たちと、左側の松の下に松葉かきをする人物が描かれています。