不思議活性

賢治童話と私 風野又三郎 九月四日



 九月四日

「サイクルホールの話聞かせてやろうか。」
 又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯う云っていきなり形をあらわしました。けれどもみんなは、サイクルホールなんて何だか知りませんでしたから、だまっていましたら、又三郎はもどかしそうに又言いました。
「サイクルホールの話、お前たちは聴きたくないかい。聴きたくないなら早くはっきりそう云ったらいいじゃないか。僕行っちまうから。」
「聴きたい。」一郎はあわてて云いました。又三郎は少し機嫌を悪くしながらぼつりぼつり話しはじめました。
「サイクルホールは面白い。人間だってやるだろう。見たことはないかい。秋のお祭なんかにはよくそんな看板を見るんだがなあ、自転車ですりばちの形になった格子の中を馳けるんだよ。だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振るんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤も小さい時もあるにはあるよ。お前たちのかまいたちっていうのは、サイクルホールの小さいのだよ。」
「ほ、おら、かまいたぢに足切られたぞ。」
 嘉助が叫びました。
「何だって足を切られた? 本当かい。どれ足を出してごらん。」
 又三郎はずいぶんいやな顔をしながら斯う言いました。嘉助はまっ赤になりながら足を出しました。又三郎はしばらくそれを見てから、
「ふうん。」
と医者のような物の言い方をしてそれから、
「ちょっと脈をお見せ。」
と言うのでした。嘉助は右手を出しましたが、その時の又三郎のまじめくさった顔といったら、とうとう一郎は噴き出しました。けれども又三郎は知らん振りをして、だまって嘉助の脈を見てそれから云いました。
「なるほどね、お前ならことによったら足を切られるかも知れない。この子はね、大へんからだの皮が薄いんだよ。それに無暗に心臓が強いんだ。腕を少し吸っても血が出るくらいなんだ。殊にその時足をすりむきでもしていたんだろう。かまいたちで切れるさ。」
「何して切れる。」一郎はたずねました。
「それはね、すりむいたとこから、もう血がでるばかりにでもなっているだろう。それを空気が押して押さえてあるんだ。ところがかまいたちのまん中では、わり合空気が押さないだろう。いきなりそんな足をかまいたちのまん中に入れると、すぐ血が出るさ。」
「切るのだないのか。」一郎がたずねました。
「切るのじゃないさ、血が出るだけさ。痛くなかったろう。」又三郎は嘉助に聴きました。
「痛くなかった。」嘉助はまだ顔を赤くしながら笑いました。
「ふん、そうだろう。痛いはずはないんだ。切れたんじゃないからね。そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。くるくるまわって走れぁいいからね。そうすれば木の葉や何かマントにからまって、丁度うまい工合かまいたちになるんだ。ところが大きなサイクルホールはとても一人じゃ出来あしない。小さいのなら十人ぐらい。大きなやつなら大人もはいって千人だってあるんだよ。やる時は大抵ふたいろあるよ。日がかんかんどこか一とこに照る時か、また僕たちが上と下と反対にかける時ぶっつかってしまうことがあるんだ。そんな時とまあふたいろにきまっているねえ。あんまり大きなやつは、僕よく知らないんだ。南の方の海から起って、だんだんこっちにやってくる時、一寸僕等がはいるだけなんだ。ふうと馳けて行って十ぺんばかりまわったと思うと、もうずっと上の方へのぼって行って、みんなゆっくり歩きながら笑っているんだ。そんな大きなやつへうまくはいると、九州からこっちの方まで一ぺんに来ることも出来るんだ。けれどもまあ、大抵は途中で高いとこへ行っちまうね。だから大きなのはあんまり面白かあないんだ。十人ぐらいでやる時は一番愉快だよ。甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八ヶ岳の麓の野原でやすんでたろう。曇った日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから
『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞えたんだ。
『やろう』僕はたち上って叫さけんだねえ、
『やろう』『やろう』声があっちこっちから聞えたね。
『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで、汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。サイクルホールはだんだん向うへ移って行って、だんだんみんなもはいって行って、ずいぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。きっと東京でもいろいろ面白いことをやったねえ。それから海へ行ったろう。海へ行ってこんどは竜巻をやったにちがいないんだ。竜巻はねえ、ずいぶん凄いよ。海のには僕はいったことはないんだけれど、小さいのを沼でやったことがあるよ。丁度お前達の方のご維新前ね、日詰の近くに源五沼という沼があったんだ。そのすぐ隣りの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまわっていたら、まるで木も折れるくらい烈しくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人の僕の友だちがね、沼を通る時、とうとうはずみで水をすくっちゃったんだ。さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまわって馳けたねえ、水が丁度漏斗の尻のようになって来るんだ。下から見たら本当にこわかったろう。
『ああ竜だ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜のしっぽのように見えたかも知れない。その時友だちがまわるのをやめたもんだから、水はざあっと一ぺんに日詰の町に落ちかかったんだ。その時は僕はもうまわるのをやめて、少し下に降りて見ていたがね、さっきの水の中にいた鮒やなまずが、ばらばらと往来や屋根に降っていたんだ。みんなは外へ出て恭恭しく僕等の方を拝んだり、降って来た魚を押しいただいていたよ。僕等は竜じゃないんだけれども拝まれるとやっぱりうれしいからね、友だち同志にこにこしながらゆっくりゆっくり北の方へ走って行ったんだ。まったくサイクルホールは面白いよ。
 それから逆サイクルホールというのもあるよ。これは高いところから、さっきの逆にまわって下りてくることなんだ。この時ならば、そんなに急なことはない。冬は僕等は大抵シベリヤに行ってそれをやったり、そっちからこっちに走って来たりするんだ。僕たちがこれをやってる間はよく晴れるんだ。冬ならば咽喉を痛くするものがたくさん出来る。けれどもそれは僕等の知ったことじゃない。それから五月か六月には、南の方では、大抵支那の揚子江の野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカロラ海床の上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨になるんだ。日本が丁度それにあたるんだからね、仕方がないや。けれどもお前達のところは割合北から西へ外れてるから、梅雨らしいことはあんまりないだろう。あんまりサイクルホールの話をしたから何だか頭がぐるぐるしちゃった。もうさよなら。僕はどこへも行かないんだけれど少し睡りたいんだ。さよなら。」
 又三郎のマントがぎらっと光ったと思うと、もうその姿は消えて、みんなは、はじめてほうと息をつきました。それからいろいろいまのことを話しながら、丘を下って銘銘わかれておうちへ帰って行ったのです。



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