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閉じた社会と開かれた社会

2024-06-24 23:41:19 | 政治
今日の日記は、私などにはとても恐れ多いことなのですが、多少、哲学的色彩を帯びた内容となります
ドイツの哲学者カントは、生前、当時の有名な学者であり霊能者でもあったエマニュエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)に興味を持ち
彼に関する考察を書いた「視霊者の夢」という著書を著しております
実は私も、若い頃にこのスウェーデンボルグの夢(霊界)日記に関する本を何冊か読んで影響を受けておりまして
カントがスウェーデンボルグに興味を持ったその好奇心的な感覚が、肌感覚で分かる気がするのです
なぜかと言いますとね。。。私も。。。当然カントとはレベルは違うとは思いますが。。。
このスウェーデンボルグの霊界日記に書かれた内容について、何カ月にもわたって
その内容が真実であるのかどうか、それを「考え続けた」経験があるからです

その結果たどり着いた結論がですね。。。。人間の死後の世界は確実にある。。。という結論だったんですね
これだけの結論を得るために、それこそ。。。当時は学生時代でもありましたから、日がな一日中考え続けたこともありました
私が死後の世界、つまり霊界世界を信じるという結論に達するまでには、相当な思考訓練の繰り返しがあったのです
ですから、誰がなんと言おうと、「あるものはある」わけで、「人間は本来霊的な存在である」という結論は、私の中では覆らないのです

そしてカントがスウェーデンボルグに影響を受けて思考を繰り返し、その結果到達した哲学体系として「純粋理性批判」がありますが
カントが「純粋理性批判」を著したその理由が、実によくわかるんですよ。。。大げさな表現ではなくね。。。率直に理解できます
カントには。。。。スウェーデンボルグの描く霊界世界の「法則性」が、分からなかったんだと思います
多分、カント自身は霊的な経験がなかったために、死後の世界と現世(この世)が、なぜそれほど違っているのか?
そこについて、率直に理解ができなかった。。。。この世の法則に照らし合わせても、「霊界がなぜそんな世界なのか?」
それが理解できなかったわけです

だからですね。。。。結局、彼は分からないから
「この世の頭で理性的に考えて理解できないものは、哲学として、学問として扱うべきじゃない」
そう考えて、純粋理性批判を書いたのだと思います
もちろん、スウェーデンボルグ自身も、霊界とこの世の法則の違いについて感覚的には分かっていたのでしょうけれども
それをこの世的な言葉に翻訳し、この世の人に明確な言葉で示すことはできませんでした
結局、カントには時代的な制約があり、霊界の法則性を解き明かすだけの知識が得られなかったわけです

かく言う私もまた、当時は「なぜ霊界はそんな世界なのか?」が、明確には分かりませんでした
その霊界の法則性について、明確に説き明かされた書物を私が手に取ったのは、それから1~2年後のことです
その書物を手に取ったときの衝撃は今も明確に覚えています。。。体に電撃が走るような衝撃体験でした
その書物を書いたのが、実は大川隆法先生だったんですね
当時のカントに分からなかったことが、いま現在を生きる私には分かる。。。これが時代の制約であったわけです
当然、カントより私が知的に優れているわけではありません。。。今を生きる私が、カントより恵まれた時代を生きているという事です

あの世の世界、つまり霊界世界(実在界)は、心の法則の統べる世界です
すべての人間が、心の法則の下にあり、その法則によって生かされています
この世もまた、心の法則の統べる世界ではありますが、実在界よりもやや硬直し、固まった世界なので
実在界のように、思ったことがすべて思い通りになることはありませんし
またこの世は、多くの人の思念が交錯している世界なので、自分の思いとは違う結果がでることも往々にしてあります
この世もまた心の世界ではあるけれども、なかなか自分の思い通りにならない、不自由を感じる世界でもある。。。。わけです

カントが純粋理性批判を説いたことで、後世の哲学者たちがカントの影響を受け
霊とかあの世などの話を「理性的でない」として、学問から排除する流れが始まっていきました。。。
つまり、近代の唯物論はカントが元祖。。。とも言えるわけです
結局、霊的なものを甘受できない後世の学者は、プラトンやヘーゲルのような形而上学を哲学として扱うよりも
分からないこと、理解できないことをバッサリと切り捨ててしまう方を選択したわけです

そして今日の表題「閉じた社会と開かれた社会」の議論に移るわけですが
この「開かれた社会」という表現は、実は件のカントの影響を受けた哲学者カール・ポパーの発案です
ポパーはプラトンを痛烈に批判しているわけですが、プラトンの説くイデアの世界(霊界)こそが人間を迷信の世界に閉じ込めた元凶であって
プラトンらによって迷信の世界に閉じ込められた世界こそが「閉じた社会」だというわけです
ポパーは迷信から人間を自由にした社会こそ「開かれた社会」だとしています
そして、その思想的影響を強く受けた代表的な人物こそがジョージ・ソロスであり、彼は宗教的な倫理観の破壊者でもあります
結局、宗教的な、もしくはプラトン哲学的なものからくる倫理観こそ、人間を縛る鉄鎖である。。。。というわけです
だから人間のモラルや伝統的・宗教的倫理観を、BLMやLGBTQなどを通じてどんどん破壊しているわけです

私は思うのですが
人間がこの世限りで本当に終わりなら、ポパーやソロスの意見も一考に値するし、それでいいと思います
でも実際には、その唯物論は根本的に間違っているわけです
人間はこの世限り。。。。この考え方こそ、本当は人間を「閉じた社会」に閉じ込めているのではないでしょうか?
今の社会的混乱を見るにつけ
本当は、宗教的な、もしくはプラトン哲学的なものを根源に持つ、宗教的な真理こそが、いま必要とされているのではないか?
そう率直に思うものです

それではまた
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