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産經に「文語文で書かれるべき教育基本法」といふ論評が載れり。
【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 (産經新聞 2006年06月04日)
■文語文で書かれるべき教育基本法
■法改正よりも重要な言葉の改正
≪蔑ろにされた「正統表記」≫
教育基本法や憲法の改正の問題が世人の関心を集めているが、戦後の占領下に、いわば安普請の家のように作られてしまったものを、戦後60 年余りたった今日、改正しようとするのは当然のことであろう。しかし、この二つの法の他に、もっと大事なものの見直しが忘れられてはいないか。それは、 「現代かなづかい」の問題である。もっと大事というのは、教育基本法や憲法も日本語で書かれるものである以上、言葉の問題に左右されるからである。
今日、われわれが普段使っている「現代かなづかい」は、昭和21年9月の第11回国語審議会で制定された。この「現代かなづかい」の非を論じ、「歴史的かなづかひ」の正統性を訴え続けたのは、福田恆存であった。
その名著『私の国語教室』を収めた全集の巻末の覚書に、「幾多の先学の血の滲むやうな苦心努力によ つて守られて来た正統表記が、戦後倉皇の間、人々の関心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる余裕のない隙(すき)に乗じて、慌(あわただ)しく覆されて しまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も変らず伝統だの文化だのといふお題目を並べ立てる、その依つて立つべき『言葉』を蔑 (ないがし)ろにしておきながら、何が伝統、何が文化であらう。なるほど、戦に敗れるといふのはかういふことだつたのか」と書いている。
≪口語文では改革も空疎に≫
教育基本法も憲法も「戦後倉皇(そうこう)の間」に、「慌しく」作られてしまったのは同様である。今日の日本の惨状は、「なるほど、戦に 敗れるといふのはかういふことだつたのか」という慨嘆を多くの日本人の心にもたらすであろう。その根本の原因は、「戦に敗れ」たこと、そして「言葉」を 「覆されてしまつた」ことなのである。
だから、教育基本法や憲法の改正よりも、この「言葉」の改正は重要なことなのであり、心ある国語学者をはじめ、言葉にかかわる仕事をしている日本人が、この問題を喫緊の問題として認識し、具体的な運動が起こってくることを強く願うものである。
私は、その手始めとして、改正教育基本法は文語文で書かれるべきだという提案をしたいと思う。今回 の改正案が継続審議ということになれば、文語文に書き直す時間もできるであろう。文語文であれば、当然「歴史的かなづかひ」で表記される。これが、本来の 表記であるという認識が生まれることになる。
山本夏彦は、「私は文語文を国語の遺産、柱石だと思っている」と言った。教育基本法の改正案でも、「相も変らず伝統だの文化だのといふお 題目を並べ立て」ているが、伝統とか文化とかをいうならば、それを文語文で書き表すくらいの教養は必要ではないか。今日の、空疎な感じがする口語文で書か れた改革案では、歴史とか伝統とかいっても、本当にそれらを深く感覚しているのか疑わしい。
吉田満の『戦艦大和ノ最期』は、周知の通り文語体で書かれた傑作であるが、占領下の昭和22年に不本意ながら吉田自身によって口語文に 作り直されたものが残っている。この二つを読み比べてみると、口語文のものは全くといっていいほど原作の格調を失ってしまっている。口語文は、歴史の悲劇 を担いきれないのであろう。口語文では、例えば開戦詔書の文章は書けまい。これ一つとっても、日本は「平和国家」にとどまるしかできないであろう。
聖書についても、今日の口語訳には文語訳が持っていた何かとても大切なものが消えてしまっている。聖書の「言葉」とは、精神の危機的局 面に深く関係したものであり、それには文語文がふさわしい。文語文は、精神の悲劇や深みの表現には向いているのであり、口語文は日常的な平板な世界の消息 を語ることはできても、精神の垂直性に届くことはまれだからである。
≪日本語の淵源忘れぬよう≫
文語文を復活しようというのではない。そんなことはもはや不可能である。ただ、日本 語の文章、普段使われている口語文の、淵源(えんげん)としての規範に文語文の格調、リズムなどがあることを絶えず思いだしていることの重要性をいってい るのである。そして、日本の歴史に危機、悲劇が起きたとき、それを担う文語文を作り出せる準備、蓄積が大切である。そのためには、権威と品格が要求される教育基本法のような根本の理念を記す文章は、正統的な「歴史的かなづかひ」による、歴史と伝統と文化がしみ込んだ文語文であるべきである。このことは、憲法、皇室典範についてもいえるであろう。(しんぽ ゆうじ)
我も文語調にしたしと前々から思ひたり。 以前より文章中の叮嚀語を減らしたるは、文語調に移行する爲の準備なり。 叮嚀語等の敬語を含む文章まで文語調で書くは無理と判斷せり。 文語調ならばどう書くになりやと常に考へながら文章は書きたり。
(丁寧語 為 判断)
- 事實の記載、自分の考への記載は正字正假名文語調。
- 人に話しかくる文章の記載は正字正假名口語調。
(事実 正仮名)
いづれこのやうに移行することを目指したり。 今囘は無理に文語調で書きたるが、自信を持ちて書き得るやうになるは、 いつになりや分らず。
(今回)
皆が文語調を使ふ必要は無しと思ふが、 文章を「です、ます」調にて書く人、「だ、である」調にて書く人が居るやうに、 正字正假名にて書く人も居ば、文語調で書く人も居る、 そのやうな環境は作り得、とぞ信ずる。 正論の中では不可能と言はれたるが、我は不可能とは思はず。
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なほ參考までにですが、2ちやんねるに關連スレがあるので書きます。
古文・漢文板 ヰキペヂアの文語體版を始めませう
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1162102337/
言語學板 ★格調高く美しい「 文語 」を育課程に!★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1155140738/
これは素晴しい試みですね。
協力します。
http://incubator.wikimedia.org/wiki/Test-wp/jpn-classical