≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

祖母のお葬式

2010-05-14 11:09:58 | その他思ったこととか

催事前の追い込みにはやたらと書きまくっていたのに、時間ができたら?てんでご無沙汰。
すみません。


95歳で祖母が亡くなったのは、4月22日のことだった。
もう本人は、ずっと何年も死にたいと言っていた。
そういう書き方をすると、
なんかとても絶望していて、とっても良くないことのようなイメージを与えかねないと思うが、
そういうんじゃなくて、淡々とした事実だ。

だんだん体が利かなくなってきてはいたけれど、特に病気があったわけでもない。
もう充分、という気持ちだったのだろうか?
もし自分が彼女のように95歳まで生きられたら、彼女の気持ちが分かるのか?

なんだか調子が悪いなぁ、食べられないなぁ、という感じではいたけれど、
そんな状態が長く続いたわけでもなく、
娘の家の自分のベッドの上で、静かに亡くなった。

介護をしていたわたしの母や伯母 (母の姉) の心境はいかばかりか?
もう充分することはした、というさっぱりした気持ちなのだろうか?


で、またこのような書き方をするとなんだか誤解を招くかもしれないけれど、
とってもタイミングのよい時に亡くなった。
仕事で海外に行っていた孫たちが、ちょうど帰ってきたときだったからだ。
お葬式は、曾孫までの親族のみで気兼ねなく行われた。

お正月など、わたしは自分の兄弟に会う機会はあるけれど、
従兄弟に会う機会、というのはもう全然なかった。
それが、とっても久しぶりに会うことができたのだ。
とても楽しかった。 楽しいお葬式もある、というのを初めて知った。
このような機会でないと会えない、というのはなんとも残念だ。
命と引き換えに会わせてくれた祖母に感謝。
わたしの子供達 (つまり祖母にとって曾孫) は、はとこ達ととっても楽しく遊んでいた。

祖母が子供3人をしっかり育てたから、そしてその子供達がしっかり孫達を育てたから、
わたしや兄弟や従兄弟達がいる。
その偉業が一堂に会したようなものなのだ。


東京でお葬式があったので、何とかその晩には群馬の山奥に帰ってくることが出来た。
何しろつぎの日は催事の2日目だったし。
わたしだけお通夜に出たので、
(バスに乗り遅れたせいで) 駅にはわたしの車と夫の車の2台を置いていた。
それで暗い山道を子供一人だけを乗せて、しずかに運転しながら帰って行ったのだ。

とっても心に沁みる夜だった。
どう表現したらいいのか。  不思議な幸福感、
心のイオンチャネルが開いて、音楽も景色もみなどんどんわたしの中に入っていくような。
そのような体験は時々あるけれど、この晩はもっともっと特別だった。

わたしはどのように老いていくのだろうか?
その前に、わたしの親はどのように老いていくのだろうか?
いままでそのようなことを考えるのは、なんというか苦しみを少しは伴うものではあったけれど、
もちろん不安だらけの問いだけど、
受け入れることが出来るかもしれない、という気持ちになったのだ。
(あっま~いっ!)

何しろ祖母は夫を早くに亡くしたし、戦争を体験した世代だから、
わたしに比べたらもう全然大変さが違うのだ。
そのような彼女があのように95歳まで生きて静かに亡くなる、
自分も染織を全うできて静かに死んでいきたいものだ、としみじみ思った。
子供たち3人をしっかり育て上げたいものだ、と思った。

暗い山道、みずうみの横を車で走る、その静かさ、美しさを想像して欲しい。



写真(一番上も、これも)
これはお葬式の翌日の4月25日、催事の2日目に群馬の森に向かう道中の景色。
昨晩通った道を、また逆に下っている。
山桜が咲いている。 みずうみがもう少し青かったらよかったのに。

今年はなかなか暖かくならず、新芽の伸びがゆっくりだったせいで、
例年よりもこのパステルカラーの状態が倍も長く続いた。
いまはもうずっと伸びて、もこもこの黄緑だ。



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