風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

空白の10年

2022年12月26日 | 詩吟
  東京芦孝会歴史                  履歴                     
'87年(S62年2月1日)  東京連絡事務所設置  ’87年?練習開始
                           ’91年(H3/9/20)再入会
                      ’97年 本格介護生活
’99年(H11年4月24日) 東京支部設立     '04年 モンゴル   ↓
      ↓ 10年              ’07年 帰国  10年休止
’09年(H21年11月22日) 東京支部創立10周年大会 
’12年(H24年4月22日)   東京芦孝会へ
’15年(H27年6月6日)  公認会となる

1998年~2007年の10年間は、私にとって、詩吟の空白の時代です。
’97年に私の開腹手術のため、母を施設に預かってもらったら、転倒により、
車いす生活となってしまう不幸に見舞われました。
それとともに、認知機能がさらに落ちたため、介護生活を余儀なくされる。
生来、一つのことしかできない気質のため、詩吟の活動は、休止とする。

お預かりしていた瑞江教室ともお別れをして、それ以来の瑞江教室の指導者の
変遷は知らないまま。

東京連絡事務所が東京支部に昇格して、更に会を盛り上げていく大事な時期に、
私はまるっきり関わりを持たずにいました。
情報は、毎月送られる’KANGIN TOKYO NEWS’から得られました。

そして、母を見送った翌年、ウランバートル生活が始まり、更に縁が
遠くなりました。

その間、野田会長の計らいで、会員登録だけは継続していたわけです。

帰国の挨拶と年会費払い込みのお手数を願ったことについて、お礼を
申し上げに、中央会へ行きました。
ちょうど、10周年大会の委員会が発足して、いろんな動きが始まっていました。
それで、つい、舞台について、その立場でもないのに意見を言ったのが、
きっかけで、復帰する覚悟もないままに幹事の末席に居ることとなりました。
作業を通じていつの間にか、前からいたかのように、誘いこまれていました。
実に包容力のある芦孝先生はじめ芦孝会幹事さんたちのおかげです。


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