イッセーさんが、「はがれて、客観的にみる」と、トーク番組でおっしゃっていました。
倹lさんのこのような言葉は、ときに、身に響くことがあります。
思いのままに吟じているのは、よろしくない。
伴奏を良く聞いて、合わせなくては。
自分に酔ってはいけない。
長すぎる。
短い。
誤読をする。
バランスが悪い。
自分自身と、詩吟をする私とが、一体になっていることが良しとして、思いのままに吟じていたのでは、聞いていて、美しくない。
自分自身から、私を剥がしてみるなんてこと、思いもしなかったけれど。
芦孝会に続々と出現する達人たちのことをよく観察して見ると、なるほどねぇ。
まず、私がとりあえずすぐにできることは、今、独吟の練習をしている吟題の練習に、付け加えて、伴奏をよく聞くということから、始めて見ようと思う。
そんなことは、ずっと前から言われてきたのだろうけれど、気が付いてなかった。気が付いていながら、それは違う、私はその様に吟じたいではないと思い続けていた。
そういう言葉が、聞こえて、実行して見ようと思い始めたのは、もしかしたら、はがれてきたのかなぁ。
今回の五似ん会でも、直接に関係はないけれど、いろんな立場で、「はがれてきた」のを感じることがありました。
ちょうど節目の年になったからだろうか、奇しくもメンバーのそれぞれが、手放したり、距離を置いたりする行動に出てきていたのが、面白かった。
私の中で響いている音は、一度、外に出して、客観的にみて、聞くことをしろということなんだろうか。
剥がれて、客観的にみる
私の場合は、剥がれてではなく、剥がしてだね。
イッセーさんは、「剥がれて」と言っていたなぁ。
剥がしてではいけないのだろうか。
倹lさんのこのような言葉は、ときに、身に響くことがあります。
思いのままに吟じているのは、よろしくない。
伴奏を良く聞いて、合わせなくては。
自分に酔ってはいけない。
長すぎる。
短い。
誤読をする。
バランスが悪い。
自分自身と、詩吟をする私とが、一体になっていることが良しとして、思いのままに吟じていたのでは、聞いていて、美しくない。
自分自身から、私を剥がしてみるなんてこと、思いもしなかったけれど。
芦孝会に続々と出現する達人たちのことをよく観察して見ると、なるほどねぇ。
まず、私がとりあえずすぐにできることは、今、独吟の練習をしている吟題の練習に、付け加えて、伴奏をよく聞くということから、始めて見ようと思う。
そんなことは、ずっと前から言われてきたのだろうけれど、気が付いてなかった。気が付いていながら、それは違う、私はその様に吟じたいではないと思い続けていた。
そういう言葉が、聞こえて、実行して見ようと思い始めたのは、もしかしたら、はがれてきたのかなぁ。
今回の五似ん会でも、直接に関係はないけれど、いろんな立場で、「はがれてきた」のを感じることがありました。
ちょうど節目の年になったからだろうか、奇しくもメンバーのそれぞれが、手放したり、距離を置いたりする行動に出てきていたのが、面白かった。
私の中で響いている音は、一度、外に出して、客観的にみて、聞くことをしろということなんだろうか。
剥がれて、客観的にみる
私の場合は、剥がれてではなく、剥がしてだね。
イッセーさんは、「剥がれて」と言っていたなぁ。
剥がしてではいけないのだろうか。