風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

江戸川詩吟道場参加

2013年05月11日 | 詩吟
「本能寺」の合吟の練習に、三人のメンバーが初めてそろっての練習。
問題点を出し合って、ちょっと時間をかけることができた。

その他、思いつくままに、教室の指導者を差し置いて意見を述べさせてもらったり、江戸川の道場たるゆえんをいかんなく発揮して、それぞれの参加者の今一番気になるところを、お互いに修正し合うという場面展開。

熱心さが有り余って、一人で暴走してしまう人がいて、それぞれがそれぞれの立場で、胸を痛めていたのだけれど、ちょっとしたきっかけで、にっこり笑い、肩肘張っていたのが取れたように見受けられる場面がありました。

そして、もう一つ、一つ一つの音を大切に確実にとらえるために、一音一音区切って吟じてもらう場面も、そして、確実に音が捉えられたら、その段消しをしていきましょうと。

耳が捉えられたら、体はすっかり覚えているのに、頭で考えすぎるから、まだ、無理とかもう少しとか、脳みそが言わせてしまう。
幼児は、見て聞いてすぐにおうむ返しができるのは、下手に脳みそを働かせないからだ。

直接、体に働きかけて言い聞かせる訓練をしようよ。


8日の夢松風の練習は、前回お休みして、喉の保護のため前日も声を出さずにでかけました。
声を出してないまま練習に出るのは、初めてのこと。
それでも、喉にかなりの影響の出た風邪だったので、無理をして元の木阿弥にならないように、申し訳ないけれど、練習なしで、お稽古の当日になりました。

時間待ちのロビーで、関吟東京ニュースに載せる教場トピックスの原稿の修正をO三とやりました。

一つ一つの言葉が、優しく控えめなのが、とてもうれしい紹介の文章を書いてくださいました。

気をよくして、時間になったら、部屋に行き、体操からいつもの手順で始まりました。

少々緊張しましたが、いつもの手順を踏んでいると、体が詩吟をする方向へよみがえってくるのを感じます。

今日の吟題は、太田道灌の仕上げをして、「芳野懐古」梁川星巌に取り鰍ゥりました。
太田道灌の仕上がりは、さすがに1年がたったのだなぁと思える満足感を得ることができました。
今までは、終了ですと言っても、なんだか不安に感じていた様子が会員さんにありありでしたが、太田道灌では、それがなく、素直に終了を喜んでいる様子が見受けられました。

この、終了の手ごたえを感じてくださるようになったら、しめたもの、秋の昇段試験に向けて、手ごたえを感じるのでした。

終了という言葉は、曲者で、終了であって終了でない。教えている私にさえ、終了ということは、ありえないのだけれど、今の力ではここまでで一段落ということなのです。

いつも控えめな会員さんだからこその、「不安」の感情が起きるのは、とてもよい事なのかなとも思いますが、自信をもって卒業の喜びを感じてほしいので、そのためには、何が必要なのだろうねぇ。



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