ホンゴルゾルのことばが、三枝彩子さんのブログ「愛しのオルティンドー」に載っています。
2005年10月22日 http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/50133101.html
今では、モンゴルの重鎮という位置にらっしゃるようですが、そのホンゴルゾルが、ビャンバジャルガルの友人として、練習場所のトゥメンエヒに遊びに見えた時に、私に投げかけた言葉は、その時私が感じた以上に実感が籠っていたことがわかる。
「こんな年寄り(私、当時58才)の人は、歌手には、なれない」と。
三枝彩子は、モンゴル人の前で詠っても、日本人とわからないというほどの名手です。
その名手の歌声を、すでに聞いていたのですから、日本人ということはハンデにならないとご存じで、余計に実感がこもっているはずですねぇ。
そのころ、私の通訳をしてくれていた日本語学科の学生さんも、ビャンバ先生も、「趣味」ということの意味を知らなかった。
そのころ、モンゴルでは、物事を習うということは、それで、身を立てるから習うのであって、収入を得る予定もないのに、大金を支払うなんてことはあり得ないから。
その時、ホンゴルゾルの言ったことを通訳の学生さんは、絶句して、私にすぐには、通訳をしてくれませんでした。
そうよねぇ、大好きなすみこをがっかりさせたくなかったよねぇ。かわいそうに。
「通訳はね、良いことも悪いことも、どんなこともそのまま伝えねばいけないよ」と、説得しなければなりませんでした。
それで、やっとのことで、その言葉が私に届いた。
はぁ~、ごくろうさん。
それから、ビャンバジャルガルについても、ちょっとだけ記述がありました。
http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/52583662.html
2010年ですから、モンゴルからの情報もずいぶん増えてきて、ユーチューブにも映像や音が、増えてからのことですね。
私がジャルガル先生に頂いて持ち帰ったCDで、ジャルガル先生のボギンドーを知った三枝彩子さんでした。
帰国してからの1年あまりは、三枝さんにオルティンドーを習っていましたから、歌手としての固有名詞ではなく、三枝先生とお呼びしなければならないのかな?
ホンゴルゾルの言葉にある「喉の声」で、歌っていたのを、少しずつおなかのほうへと下がっていったことで、帰国直前のジャルガル先生にも、日本での三枝先生にも、たまには、褒めて頂ける声を出せるようになってきました。
井本整体にめぐりあって、体は楽器と考え、試行錯誤の末、今の発声になって来たのは、本当におかげ様です。
オルティンドーを習う前の、喉だけの発声をして居たら、おそらく、喉をつぶして、今の詩吟をする私は、いなかったと思う。
そして、「喉」と、「通訳」の二つのキ<潤[ドで、思いだすことがある。
2007年2月27日の当ブログには、こんなことが書いてある。
『風邪ですからというと、思いっきり、私も風邪を引いているけれど、声は出るといわれ、確かに、いつもと変わらない声が出る。
理論では、私も出るはずだけれど、やはり、入れてはならないところに力が入っていて、ひどい声らしい。
ビャンバジャルガル先生は、当然ながら不満足です。
前回はとても良かったのに、今日は、「モーだ。(《最》悪)」とジェスチャー付きで言われ、果ては、ヤギの断末魔の声だとまで言われてしまいました。
そういう言われ方は、初めてなので、よほど、練習をしていないことが腹に据えかねたのだろうと思います。
確かに、そうだけど。日本のお稽古事の先生のように、風邪なのに熱心に練習に来て偉いですと褒めて欲しいと思って練習に来たわけではないけれど、ちょっと、へこみそうになる。』
「ヤギの断末魔」の通訳も、すぐには、私には伝わらなかったねぇ。
「断末魔」という日本語の単語は、その時、通訳さんの単語帳に初めて、加わったのだから。
今思いだすとおかしくてたまらないけれど、通訳さんは、すみこにいいことだけを伝えたいと思い、私は、ずいぶん声が出るようになったと勘違いし。
そして、先生は、とんでもない生徒だと、嘆いた。
その時は、こんかぎり頑張ったつもりだったけれど、今思うと、やわだったねぇ。
三枝先生も、悩みの種だったかも。今は、九州に行ってしまったので、会いたくても逢えないねぇ。
2005年10月22日 http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/50133101.html
今では、モンゴルの重鎮という位置にらっしゃるようですが、そのホンゴルゾルが、ビャンバジャルガルの友人として、練習場所のトゥメンエヒに遊びに見えた時に、私に投げかけた言葉は、その時私が感じた以上に実感が籠っていたことがわかる。
「こんな年寄り(私、当時58才)の人は、歌手には、なれない」と。
三枝彩子は、モンゴル人の前で詠っても、日本人とわからないというほどの名手です。
その名手の歌声を、すでに聞いていたのですから、日本人ということはハンデにならないとご存じで、余計に実感がこもっているはずですねぇ。
そのころ、私の通訳をしてくれていた日本語学科の学生さんも、ビャンバ先生も、「趣味」ということの意味を知らなかった。
そのころ、モンゴルでは、物事を習うということは、それで、身を立てるから習うのであって、収入を得る予定もないのに、大金を支払うなんてことはあり得ないから。
その時、ホンゴルゾルの言ったことを通訳の学生さんは、絶句して、私にすぐには、通訳をしてくれませんでした。
そうよねぇ、大好きなすみこをがっかりさせたくなかったよねぇ。かわいそうに。
「通訳はね、良いことも悪いことも、どんなこともそのまま伝えねばいけないよ」と、説得しなければなりませんでした。
それで、やっとのことで、その言葉が私に届いた。
はぁ~、ごくろうさん。
それから、ビャンバジャルガルについても、ちょっとだけ記述がありました。
http://blog.livedoor.jp/urtynduu/archives/52583662.html
2010年ですから、モンゴルからの情報もずいぶん増えてきて、ユーチューブにも映像や音が、増えてからのことですね。
私がジャルガル先生に頂いて持ち帰ったCDで、ジャルガル先生のボギンドーを知った三枝彩子さんでした。
帰国してからの1年あまりは、三枝さんにオルティンドーを習っていましたから、歌手としての固有名詞ではなく、三枝先生とお呼びしなければならないのかな?
ホンゴルゾルの言葉にある「喉の声」で、歌っていたのを、少しずつおなかのほうへと下がっていったことで、帰国直前のジャルガル先生にも、日本での三枝先生にも、たまには、褒めて頂ける声を出せるようになってきました。
井本整体にめぐりあって、体は楽器と考え、試行錯誤の末、今の発声になって来たのは、本当におかげ様です。
オルティンドーを習う前の、喉だけの発声をして居たら、おそらく、喉をつぶして、今の詩吟をする私は、いなかったと思う。
そして、「喉」と、「通訳」の二つのキ<潤[ドで、思いだすことがある。
2007年2月27日の当ブログには、こんなことが書いてある。
『風邪ですからというと、思いっきり、私も風邪を引いているけれど、声は出るといわれ、確かに、いつもと変わらない声が出る。
理論では、私も出るはずだけれど、やはり、入れてはならないところに力が入っていて、ひどい声らしい。
ビャンバジャルガル先生は、当然ながら不満足です。
前回はとても良かったのに、今日は、「モーだ。(《最》悪)」とジェスチャー付きで言われ、果ては、ヤギの断末魔の声だとまで言われてしまいました。
そういう言われ方は、初めてなので、よほど、練習をしていないことが腹に据えかねたのだろうと思います。
確かに、そうだけど。日本のお稽古事の先生のように、風邪なのに熱心に練習に来て偉いですと褒めて欲しいと思って練習に来たわけではないけれど、ちょっと、へこみそうになる。』
「ヤギの断末魔」の通訳も、すぐには、私には伝わらなかったねぇ。
「断末魔」という日本語の単語は、その時、通訳さんの単語帳に初めて、加わったのだから。
今思いだすとおかしくてたまらないけれど、通訳さんは、すみこにいいことだけを伝えたいと思い、私は、ずいぶん声が出るようになったと勘違いし。
そして、先生は、とんでもない生徒だと、嘆いた。
その時は、こんかぎり頑張ったつもりだったけれど、今思うと、やわだったねぇ。
三枝先生も、悩みの種だったかも。今は、九州に行ってしまったので、会いたくても逢えないねぇ。