風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

マイク

2017年09月10日 | 詩吟
わぁ、なんだこれは、ずいぶんと情けない吟詠をしたものだと思う。
いつもより以上に練習をしているつもりだったから、大きな油断だったなぁ。

教場で、常にマイクを使って独吟をする唯一の教場なのだから、うっかりも甚だしい。
マイクを認識した途端に息が上がってしまった。
第1句の出だし、譜№3が自分なりにできてきたと思っていたのが、いきなりの失敗。
気をとり直して、譜31?は、事なきを得て、転句の前の大休止で、息を下げようとしても、無理だったなぁ。。。そりゃぁ無理さ!


つい先日、譜№ 10番は、油断召さるなと言ったばかり、それをそっくりそのまま、悪い例を示すが如くの壊れようでした。


「練習なんだから、たくさん間違ってもちっとも恥ずかしいことでは無いのだから」と、良く言うのだけれど、たしかにそうだ。

でも、今日の私の吟詠は間違い以前の問題で、『気』が足りない吟詠をしたのだから、恥ずかしいのを通り越してしまう。

最近の教室での立ち位置にいると、いざ自身の吟詠という時には、まったく逆の立場になるのだから、瞬時に気持ちを切り替えて、集中できねばなぁ。

この集中については、I先生の研ぎ澄まされた集中に持っていくには、どうしたらよいのか、学ぶ必要があると思いました。

この集中力は、集中することだけを考えてできるものではない。
一瞬の「あっ!」が、良い方へも悪い方へも転んでしまう。

大事なのは、その先の何を求め、何を手にしたいかによるのかなぁと思う。
その、何かがないから、集中もできないし、上がりっぱなしになるのだと思う。

でもね、私にとって、「手にしたいもの」って、いまだによくわからない。

多くの人が描く映像に、自分を重ねてみても、いまいち、わたしの手にしたいものではないと、思う。

映像で表せないものなのかなぁ。たぶん、きっと、そう。


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