かつて、東京支部十周年の舞台のために、詩舞を習っていた思い出の場所が、勝手に名づけた『ひばり会』です。
久しぶりに、訪ねてみました。
一人メンバーが欠けていましたが、相変わらず愉快で気の良い人たちで、剣舞の練習を達者な伴吟で続けていらっしゃいました。
詩舞の指導をしてくださった先生も半月板の故障を押して指導をなさっていました。
お聞きしたいことがあり、その問題の解決も見て、ついでに、本能寺の伴吟も何度もさせていただきました。
最近では珍しいくらいの十分な声慣らしになりました。
そして、剣舞の発表会の伴吟(九段の桜)もおおせつかり、また、その会では、独吟もできると言うので、独吟の申し込みもあっという間に乗せられた形で、いたしました。
このところ、意に反して載せられる事が続いているのですが、それぞれに、私なりのテーマが見つけられたので、載せられたとの表現は当たってないかもしれません。
伴吟をすることになって、剣舞を舞う方が手放しで喜んでくださったのが、とても印象的でした。
ここにも、良い仲間が居て、私を必要としてくれている。うれしいなぁ。
久しぶりに、訪ねてみました。
一人メンバーが欠けていましたが、相変わらず愉快で気の良い人たちで、剣舞の練習を達者な伴吟で続けていらっしゃいました。
詩舞の指導をしてくださった先生も半月板の故障を押して指導をなさっていました。
お聞きしたいことがあり、その問題の解決も見て、ついでに、本能寺の伴吟も何度もさせていただきました。
最近では珍しいくらいの十分な声慣らしになりました。
そして、剣舞の発表会の伴吟(九段の桜)もおおせつかり、また、その会では、独吟もできると言うので、独吟の申し込みもあっという間に乗せられた形で、いたしました。
このところ、意に反して載せられる事が続いているのですが、それぞれに、私なりのテーマが見つけられたので、載せられたとの表現は当たってないかもしれません。
伴吟をすることになって、剣舞を舞う方が手放しで喜んでくださったのが、とても印象的でした。
ここにも、良い仲間が居て、私を必要としてくれている。うれしいなぁ。