風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風6月2回

2012年06月28日 | 詩吟
久しぶりに3人のフルメンバーでの練習です。

今日から、5本で練習をいたします。

男性の音のとり方がいまいちわからないへな猪口先生で有ります。
五本で、行うと、女性の高音の張りが出てきました。
4本で行っていて、無理なく高い音を出せていたためか、もともと声の出し方に無理が無かったのか?

男性も、低音が出しやすくなったと言っています。

練成会では、10分の時間を頂いたので、それぞれが独吟をすることが出来ます。
相談の結果、合吟で発表ということになりました。
五本で、男性の出だし、両サイドに女性という並び方で、面白い発表になります。

話題になるかも。。。

5本になったことで、私の低音の音もきちんと出せることから、低音は、音の出しやすい出しにくいとは別に、おろそかになり勝ちなところをちゃんと声を出して指導できるようになります。

「九月十日」は、基本中の基本の吟であったことで、おさらいをしてみたら、前回のお休みは、問題になってないので、終了ということになりました。

お休みしたら、声の出方がいまいちと言っています。
自分の声の出方が、わかるようになったということです。
お休みも悪くなかったということですね。

男性の申し出て、5本で練習することになったのは、画期的です。
これで、男性の低音、女性の高音の伸びに期待が出来ます。

新しい課題は、「大楠公」

  意解  《関吟HPより
豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるという諺があるが、人が名声を後世に残すのは決して偶然ではなく、必ずそうなるべき原因がある。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって今も昔も変わりがない。
 人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は、永遠に尽きることがない。大楠公のように純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがないのである。


「こんなことを考える機会ってあんまりないですよね。」との感想。

詩を読み、何らかの思いが胸の中におきて来る効果が、漢詩にもあること。
それらが、共感する内容であるか否かについては、また、別のテーマであって、詩吟の声を出すことの練習から、思いが内容にまで及んできたことを知り、成長してきたことを思います。

これは、声を出すことで、別の感覚も呼び起こされるのだということがわかります。
ともに成長していけることを予期して、うれしいのでした。

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