7月の中央会のために、いつものお稽古を人数が多くなったとこのことを想定して、練習を運ぶ予定でした。
しかし、女三人寄れば姦しいそのままで、顔をあわせると盛り上がるのは、おしゃべりでありました。
一人を失ったことは、体制に大きな影響が有り、そこから回復するのには、これなのよ。
でも考えてみると、人数が増えようが、減ろうが、練習内容については、代わりは無い、ただ一つのテーマに人数分の時間が必要だと言うこと。
それと、うまくいけば、質問が出て、さらに時間をとるかもしれないということ。
夢青葉の練習は、質問はその場で、と言うのが当たり前なので、その問題解決に時間がかかるときもある。
同時にスタートした、女性二人だから、お互いの質問は、我がことのように思える内容がほとんどで、二人で熱心に聴いてくれる。
今日は、河内路上 菊池渓琴 作 の復習、そして課題詩は、生田に宿す 菅茶山 作
でした。
今日の課題は、しきりに難しいを発するのでした。
初めて出てきた「大中山」のせいかと思ったのですが、おそらくそれは、詩吟が難しいのではなく、詩の内容に共感できないので、一つ一つの言葉が、素直に自然に発せられないことからくるのではないだろうか。
ことばを、感覚的に取り入れる人にとっては、その感情や意味するところが、理解できないと詩吟をするというメカニズムが働かないのでは。
その上、新しい吟法が出てくると、入力、出力遮断状態を招いているのでは。
まず、言葉、詩ありきで、読み下しを丁寧にやっているのですが、字面を追うのが精一杯で、心に届かない様子を見せるのは、その詩の内容に共感しないから、そして、想像の外であることから来ると思います。
基本となり、一般的な詩を増やすためには、テキストの順に習っていくことが当たり前と思っていましたが、一考をするときが来たと思いました。
特に、愛すべき姦しい女の集まりでは、そのことがさらに要求されるのでした。
吟じにくいのは、詩吟が難しいのではないよと、言っていたら、何だかうまい言い回しを合いかたがしてくれたのだけれど、今は、忘れました。
プラス思考のとてもよい言葉だったのになぁ。忘れるなんて、もったいない。
詩吟は、ひらがなでするのではなく、意味のある漢字の連なりなのですよ。
その考えを、身体にしみこませているのに、感動。
これから、マイナス思考の表現を忘れて、プラス思考で、練習しようね。
そんな、会話の時に、見学の方がいらっしゃった。
カラオケの大好きな女性らしく、ご一緒にどうぞと進めたら、唱和されたのには、驚きました。
時間の制約のある方なので、参加はわかりませんが、詩吟のことを何にも知らない人が、詩吟に触れただけでも良かったのかな。
今日も、ほんとに楽しい2時間でした。
二段への昇段試験が迫っていますから、次回から、ちょっと本気を出しましょう。
そして、練成会のこともさして抵抗無く、私の不在の了解してくださり、よきお姉さまを発揮して、夢組としての舞台にあがってくれるようです。
青葉は有段者なのだし、松風さんたちの先輩なのよと言っても、何だか、要領を得ず、控えめと言うか、謙遜と言うか、愛すべき青葉さんたちでした。
次回より、青葉の練習日が、都合で平日になります。
今日は、大中山が出てきたので、一緒に大山の一段高い要求をしてみました。
大山の『七』の音を、きれいに出すには、喉を開いて、腹に力を入れる。
喉に力が入って、無理やり出そうとしているから、苦しくて、音の伸びがなくなっているのです。
きれいな音が出るということは、伸びがあって、きちんと高さが出ています。
苦しいのに、音がでていない、じゃぁ、喉を開いて、タイミングよく腹に力が入れば、高音が美しく伸びやかに出るのです。それが、楽であれば、それほど良いことは無い。
詩吟が楽しくなる。 この指示は、タイミングが良かったらしく、すんなりと理解してもらえました。
また、螺旋を一回りして、一段上がったことを確認。そして、認識したら、れんしゅうあるのみ、われら、年を重ねた者どもは、認識と練習を同時には難しい、次回、認識した頭に渇をいれ、その意識とともに身体に覚えさせる手順でやってみましょう。
今までは、とにかく身体に覚えさせるそして、頭で認識と言う手順でした。
山口先生が、浜松と大阪の研修で二度ともおっしゃった螺旋の考え方は、青葉さんたちに、
理解が深まったようです。
やはり、2年の歳月で、積み重なって来たことを自分でも実感してきたからだと思います。
松風さんたちは、前回の練習で、ほんの少し螺旋の香りを嗅いだ位だろうねぇ。
螺旋を巡ったことの実感を味わうと、また、さらに次の楽しみが沸いてくる。
楽しみだぁ。
経験を重ねても、やはり、基本は何よりも大事、振り返り振り返り、重ねて重ねて。
これだなぁ、7月の練習は。
まず、方針は決まった。その、やり方は?
感覚を研ぎ澄ませること。これは、私の出たとこ勝負の、その場対応方式が、やっぱり生きてくるかも。
しかし、女三人寄れば姦しいそのままで、顔をあわせると盛り上がるのは、おしゃべりでありました。
一人を失ったことは、体制に大きな影響が有り、そこから回復するのには、これなのよ。
でも考えてみると、人数が増えようが、減ろうが、練習内容については、代わりは無い、ただ一つのテーマに人数分の時間が必要だと言うこと。
それと、うまくいけば、質問が出て、さらに時間をとるかもしれないということ。
夢青葉の練習は、質問はその場で、と言うのが当たり前なので、その問題解決に時間がかかるときもある。
同時にスタートした、女性二人だから、お互いの質問は、我がことのように思える内容がほとんどで、二人で熱心に聴いてくれる。
今日は、河内路上 菊池渓琴 作 の復習、そして課題詩は、生田に宿す 菅茶山 作
でした。
今日の課題は、しきりに難しいを発するのでした。
初めて出てきた「大中山」のせいかと思ったのですが、おそらくそれは、詩吟が難しいのではなく、詩の内容に共感できないので、一つ一つの言葉が、素直に自然に発せられないことからくるのではないだろうか。
ことばを、感覚的に取り入れる人にとっては、その感情や意味するところが、理解できないと詩吟をするというメカニズムが働かないのでは。
その上、新しい吟法が出てくると、入力、出力遮断状態を招いているのでは。
まず、言葉、詩ありきで、読み下しを丁寧にやっているのですが、字面を追うのが精一杯で、心に届かない様子を見せるのは、その詩の内容に共感しないから、そして、想像の外であることから来ると思います。
基本となり、一般的な詩を増やすためには、テキストの順に習っていくことが当たり前と思っていましたが、一考をするときが来たと思いました。
特に、愛すべき姦しい女の集まりでは、そのことがさらに要求されるのでした。
吟じにくいのは、詩吟が難しいのではないよと、言っていたら、何だかうまい言い回しを合いかたがしてくれたのだけれど、今は、忘れました。
プラス思考のとてもよい言葉だったのになぁ。忘れるなんて、もったいない。
詩吟は、ひらがなでするのではなく、意味のある漢字の連なりなのですよ。
その考えを、身体にしみこませているのに、感動。
これから、マイナス思考の表現を忘れて、プラス思考で、練習しようね。
そんな、会話の時に、見学の方がいらっしゃった。
カラオケの大好きな女性らしく、ご一緒にどうぞと進めたら、唱和されたのには、驚きました。
時間の制約のある方なので、参加はわかりませんが、詩吟のことを何にも知らない人が、詩吟に触れただけでも良かったのかな。
今日も、ほんとに楽しい2時間でした。
二段への昇段試験が迫っていますから、次回から、ちょっと本気を出しましょう。
そして、練成会のこともさして抵抗無く、私の不在の了解してくださり、よきお姉さまを発揮して、夢組としての舞台にあがってくれるようです。
青葉は有段者なのだし、松風さんたちの先輩なのよと言っても、何だか、要領を得ず、控えめと言うか、謙遜と言うか、愛すべき青葉さんたちでした。
次回より、青葉の練習日が、都合で平日になります。
今日は、大中山が出てきたので、一緒に大山の一段高い要求をしてみました。
大山の『七』の音を、きれいに出すには、喉を開いて、腹に力を入れる。
喉に力が入って、無理やり出そうとしているから、苦しくて、音の伸びがなくなっているのです。
きれいな音が出るということは、伸びがあって、きちんと高さが出ています。
苦しいのに、音がでていない、じゃぁ、喉を開いて、タイミングよく腹に力が入れば、高音が美しく伸びやかに出るのです。それが、楽であれば、それほど良いことは無い。
詩吟が楽しくなる。 この指示は、タイミングが良かったらしく、すんなりと理解してもらえました。
また、螺旋を一回りして、一段上がったことを確認。そして、認識したら、れんしゅうあるのみ、われら、年を重ねた者どもは、認識と練習を同時には難しい、次回、認識した頭に渇をいれ、その意識とともに身体に覚えさせる手順でやってみましょう。
今までは、とにかく身体に覚えさせるそして、頭で認識と言う手順でした。
山口先生が、浜松と大阪の研修で二度ともおっしゃった螺旋の考え方は、青葉さんたちに、
理解が深まったようです。
やはり、2年の歳月で、積み重なって来たことを自分でも実感してきたからだと思います。
松風さんたちは、前回の練習で、ほんの少し螺旋の香りを嗅いだ位だろうねぇ。
螺旋を巡ったことの実感を味わうと、また、さらに次の楽しみが沸いてくる。
楽しみだぁ。
経験を重ねても、やはり、基本は何よりも大事、振り返り振り返り、重ねて重ねて。
これだなぁ、7月の練習は。
まず、方針は決まった。その、やり方は?
感覚を研ぎ澄ませること。これは、私の出たとこ勝負の、その場対応方式が、やっぱり生きてくるかも。