風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

5月の夢青葉

2011年05月08日 | 詩吟
みずみずしい緑の葉っぱに変身した桜並木をくぐって、夢青葉会場へ。
さまざまの花が咲き乱れる中を進む。なんて気持ちのよいことだろう。
正に「花を看 また 花を看る(胡隠君を尋ぬ 高啓作)」であることよ。

詩吟の先生と呼ばれる立場になると、ついと詩吟の一節が口の端に登るようになるんだなぁと、自分で自分に感心し驚く。
なかなか、気持ちに添う詩文がないといっていたけど、あるものよねぇ。


先月風邪のためお休みだったYさんも参加して、久しぶりに4人がそろいました。

練習始めの、体をほぐす体操は、好評で、普段の生活では伸ばさない背中の筋肉や筋をほどほどに伸ばし、胸の筋肉を和らげるだけで、バストアップ・ヒップアップして、正しい姿勢となる。日ごろはどうしても前かがみになっているから自分のイメージでは、胸をそびやかし、お尻を突き出しているように思えるけれど、鏡に映してみるとそうではない。
意外や意外、若返った自分がそこに居ることを知りみんな驚いて笑顔になる。
それで今日の練習は十分という気がしてくる。

こわばったからだからは、こわばった声が出る。
やわらいだからだからは、伸びのある声がでる。
伸びのある声が出ると、気持ちが明るくなって、出てくる言葉も弾力のあるものになる。

それぞれの効果が相乗して、その場が、広がってどこかに繋がっていく気がする。



今日の吟題は、「大楠公」 徳川斉昭作(関西吟詩文化協HPの日本の詩http://www.kangin.or.jp/what_kanshi_f.htmlから 詩文などごらんください。)

吟法としては、新しいものはなく、基本吟なのであるのですが、感想を聞くと難しいと言う。

それぞれの言葉とアクセントに由来する困難さが、そういった感想を抱かせるもののようです。
もう、これは、何度も詩を読み下して、自分のものとする訓練をしなければならないのでしょう。
面白くも無い訓練は、なかなか簡単に出来るものではないので、宿題として保留箱に入れておくという手も有る。

もう少し、吟の数が増えて、知っている言葉が増えてくると、詩文を読むのが難しかったのが、いつの間にか、簡単に出来るようになることがあります。

今、「難しい、難しい」と思いながら詩吟をしないで、《難しかったマーク》を付けておいて、将来へと保留するのがよいのでしょう。

前回の課題の「九月十日」は、流れるように歌える銀だったので、余計にそのように思えるのでしょう。

今日は、一節ずつ吟じる方法だけで時間が終わりました。
そして、いつもの終了時間の後で、前回欠席だったYさんのために「九月十日」の練習を復習という形でおさらいをしました。

すでに習った二人は、ここちよさげに声を出しているのを観て、自然と笑みがわいてくる。

詩文を標準語で読み下すのは、関西出身の私たちにとっては、詩吟をする前に困難なことがあるのです。
Yさんは、それほどでもないという顔をしていたのは、関東出身であることが大きい様な気がしました。

私は関西のイントネーションで育ち、今は、関東に住み一応標準語を話してはいても、ともするとふるさと言葉が出てしまう。
違うイントネーションは、詩吟の声で出そうとすると、変に力が入ってしまって、うまくいかない。

喉に力を入れなければ、なんてことは無いのだけれど、大きい声を出すという脳への指令は、喉に力を入れるというのも混っているらしく、どうしても喉が硬くなる。

吟じる姿勢の出来た人にとっては、喉に力を入れないという指令を出すだけでよいから、滑らかな喉から声を出しやすくなるが、まだ、初心者で、正しい姿勢って何と想っている人には自由に体を操る術を体得してないのですから、難しいというより出来ないことなのです。

もともと、腹筋を使うことに慣れている男性にとっては、お腹で声を支えることは女性の私が考えるよりは、やさしいことなのでしょう。
意識をそこに持たなくても出来ているはずだから。

しっかりとお腹で声を支えつつ、ということは力は入っているのですから、喉は力を抜くという反対のことをしなくてはいけないのですから、慣れて身につけるしかないのです。

まだ、しっかりと声を支えることが出来てない人に、果たして、喉の力を抜くということをどの程度要求してよいのやら。

乗馬のときも、腰から太ももにかけてはしっかりと力を入れて、膝から下と、上半身は力を抜くという訓練をしたとき、最初は意味がわからず、力を入れると全身に力が入り、力を抜きなさいといわれると、肝心な太ももで馬体を挟んで鞍に押し付けるようにして支えるのですが、そんなこと、絶対に出来ないと想ったのでした。

それと同じで、腰でしっかりと上半身を支えて揺るがない、しかし上半身は力を抜いて柔軟に、喉は絞めないで空気が通っていくだけなんてのは、書いたり言ったりすることはたやすいが、自分の体に実現するのは、どうなんだろう。
ある日、突然ひらめいてもらうしかないのかなぁ。。。。。

そういう私も、まだまだ発展途上なのだから。

あれも是も、宿題。
気長にいこうではないか。




 
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