風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京支部中央会

2011年03月27日 | 詩吟
3月の中央会は、問題なく行われました。

項羽と劉邦の史実を丁寧に解説してくださって、その詩(虞美人草)の内容や背景が良くわかりました。

良くわかったからと言って、その詩を楽しむの境地に達するのは、なかなか難しく、数多くある詩吟の中で、詩中の人になる吟にめぐり合うのは、至難の業です。

去年の秋の練成会に、関吟のテキストに無くまた季節も違った詩吟〈山亭夏日)をあえて選んだのは、思いを投影できそうだと思ったからでした。

その日の吟題として与えられた吟を練習し、吟法を正しく吟じられたら、それで良しとしてきたので、わが身に引き換えてとか、思いを良くあらわした吟と言うのは、さがさなかったから、めぐり合わなかったのです。

私にとって、有るとしたら、「海を臨む」でした。
海を草原にみたてて、海を知らない人に思いよとどけと吟じたからです。
それにしても、ふたつとも、情景描写の詩であって、思いや考えを投影できるものではないのです。

そういう意味では、詩吟でのシンガーソングライターになればよいのですが、漢詩の決め事も私の頭には複雑で、難解で、詩を作るのは、至難の業。
どなたか得意な方に、お任せしたい気分です。

そんな私が、出来ることは、詩吟の内容にかかわらず、吟じることによって自分の思いをぶつけると言うことなのでしょうか。

もしかしたら、ただ大きな声を出すのが好きなだけかもしれない。
大きな声を出して、知らない人を驚かすのが好きなだけかもしれない。
難しい吟法を物にしたときのうれしさだけが、次のステップを目指そうとするだけなのかもしれない。
そして、自分の知る限りのことを、教えて偉そうに先生風を吹かせることだけが好きなのかもしれない。
へぇーと、目を見張らせたいだけなのかもしれない。

ただいえることは、詩吟はさておき、詩吟を通じて知り合えた人たちとの交流が何よりも、好ましいと言うことは、確かなこと。

どんなときも、何処にいても、詩吟に関わって知り合いになった人たちは、何か心の支えになり、励ましあい、しばらくぶりにあっても、しばらくぶりとは思えない、何かあったら、いつでも駆けつけるよと思っていてくれる人たちばかりだ。

もちろん、そんな人は詩吟とは関係の無い人のなかにも少ないながらあると言うことは、言っておかねばなりませんが。

多分その人たちは、上手に正確に吟ずることよりも、その人の体温が感じられる吟を何よりも好きだと思っていること。
自分の中で、さまざまな問題を解決し、惜しみなく与えることの出来る人です。
それは、誰に対してもではなく、おなじ物を共有できる人にであれば、あるいは近いうちにそうなるだろうと思える人に、同じ香り、同じ彩の人たちとなら。

まず、何事も好きにならねば。
わが夢青葉は、まず、好きになることに挑戦中。
声を出すことが好きになることが、まず一番。

ともに、進もうぜ。

4月から、新しい教室が二つ誕生します。
あっという間に、夢青葉教室は、ニューフェイスから3番目に新しい教室になってしまいました。



久しぶりに、練習の後の飲み会にも参加して、若い人から、吟じ方について真剣な質問を受けたり、詩吟論などを戦わせて、ほんとに充実した飲み会でした。

詩吟に対する考え方はそれぞれで、こんな飲み会の場で、ざっくばらんに、意見を戦わせることは、詩吟の練習をするのと同じくらい大切なことのように思います。

対立しても、酒という妙薬が、オブラートのように包んでくれることを知っているから、思い切り言いたいこともいえるし。

考えが違うからと言って、黙らないで、言葉に出していってしまう。
あいだに、詩吟があることで、険悪になるどころか、お互いの距離を一歩ずつ縮めることもある。

おもしろいなぁ。
たのしいなぁ。
言いたいことを言って楽しいのは、いいなぁ。

言葉という不完全さを、乗り越えて、誤解をしたり、誤解を解いたりしながら、思いを伝え合うって、よいなぁ。


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