板橋にあるホームセンターへ行こうと思い立ち、地図を調べてみると、高校卒業後長野から上京して最初に住んだアパートの近くだということが分かった。自転車で行ってもたいした距離じゃないので、買い物ついでに、記憶を頼りに25年振りにルーツ探訪をしてみることにした。
ホームセンターのある都営三田線の志村坂上から、当時使っていたとなり駅の志村三丁目を目指し、そこからアパートがあった前野町までの道筋を思い出しながら進んでみた。首都高の高架下の広い横断歩道を渡って、途中にタバコ屋があって、坂の上のアパートで、近くに淑徳高校があって・・・というだけの四半世紀前の曖昧な記憶に方向音痴も手伝って、すべてがおぼろげだ。
首都高を渡って坂の上を何となく進んでみると、タバコ屋があった。あの頃とは違ってもう少し立派な店構えになっているけれど、たぶん間違いない。あのタバコ屋だ。すると、思い出せないでいたアパートの名前が口をついて出た。この近くだ。自転車のペダルをこぐスピードが速くなった。見つかるかも・・・。
けれどその辺りにはそれ風のアパートは無く、立派なマンションが建っているだけだった。当たり前か。しかたがないので坂の上から写真を一枚だけ撮った。この坂の上から東京が始まった。夕焼けの向こうには板橋らしい哀愁漂う高層団地。何とも言えない気分になった。25年以上が過ぎた。
ホームセンターのある都営三田線の志村坂上から、当時使っていたとなり駅の志村三丁目を目指し、そこからアパートがあった前野町までの道筋を思い出しながら進んでみた。首都高の高架下の広い横断歩道を渡って、途中にタバコ屋があって、坂の上のアパートで、近くに淑徳高校があって・・・というだけの四半世紀前の曖昧な記憶に方向音痴も手伝って、すべてがおぼろげだ。
首都高を渡って坂の上を何となく進んでみると、タバコ屋があった。あの頃とは違ってもう少し立派な店構えになっているけれど、たぶん間違いない。あのタバコ屋だ。すると、思い出せないでいたアパートの名前が口をついて出た。この近くだ。自転車のペダルをこぐスピードが速くなった。見つかるかも・・・。
けれどその辺りにはそれ風のアパートは無く、立派なマンションが建っているだけだった。当たり前か。しかたがないので坂の上から写真を一枚だけ撮った。この坂の上から東京が始まった。夕焼けの向こうには板橋らしい哀愁漂う高層団地。何とも言えない気分になった。25年以上が過ぎた。
おかげ様で自分の27年前を思い出してます。
懐かしいようなせつないような。
気持ちでしょうか…。
たくさんの思い出が
浮かび上がりますよね。
アパート残っていて
欲しかったですね。
前野町にはいま温泉もあるので
今度ひとっ風呂浴びにきてくださいねー。
自分が上京した時の事を思い出しました。
そして、昨年一度見に行った事も。
突然、忘れていたはずの事を思い出すって不思議ですよね
自分自身を振り返る。
【綿内克幸】というアーティストが生まれた坂の上。
綿内さんが浮かんできます。
でも、心の中にはいつまでも
そのアパートはあって時々思い出すんでしょうね。
私は長い事リバに戻ってないのですが
きっとあっちのクラブもこっちのお店も
綺麗なモールになってて寂しいんだろうなと。
なので、心の中でだけ楽しんでます。
すね!地下鉄で隣同士に座ったことがあった
かも(笑)。ここ数年、日本に帰るたびに子供の
ころ住んだ場所を尋ねてみましたが、どこも
区画整理などあって、綿内さんと同じように
場所の特定ができませんでした。
東京はやはり町の移り変わりが早いですね。
昔よくいった場所というのは何か独特の
ノスタルジーを感じさせますが、「懐かしい」
という言葉に一言でぴったりあてはまる英語
の言葉ってどうもないような気がします。
しんきち
上京時は同じ三田線沿線だったね。27年前って・・・びっくりだ。頭の中は変わってないなぁ。
ゆこたん
このころ貴女は小学生でしょうか?
残念ながらアパートは残ってませんでした。
風呂なし6畳に男二人で住んでました。
おーたこさん
前野町の温泉見ましたよ!次回リベンジの際は行ってみます。
はだぁさん
アパートは見つからなかったけど、たぼこ屋はちょいと感動的でした。そしたらアパートの名前を突然思い出してね。不思議なもんでねす。
Sanaeさん
不安やわびしさばかりが記憶に残っていて訪れてみようと思ったことは無かったんですがね。行ってみて良かったです。
青石鹸さん
御近所でしたか!でも学校も夏休みで中退しちゃったし、アパートにも戻らなくなって池袋で居候始めちゃったので期間は長くはないんです。同居人(高校時代のバンドのギター)は卒業まで住んでたはずだから、彼にも後ろめたかったなぁ。