日本の戦後教育で、もっとも不幸だったこと。
それは、日教組と文部省の闘い。
学校がいつも緊張してた。子供心に、学校にはなにかしらタブーの世界があるのだと感じられた。日教組というタブー、それを押えようとする教育委員会というタブー。
学校の裏に、まるで秘密結社と公安警察のような闘いがあることが感じられる。でも、その正体は子どもにはわからない。それは、触れたら怖いから、そっとそっとよけていなければならない、荒ぶる神々の世界。どちらも“偏向”を見張っている怖い怖い神々。
文部省も日教組も、相手の姿はよく捉えていたと思う。その通り、日教組は左翼イデオロギーを教育に持ち込み。文部省は国家主義イデオロギーを教育に持ち込んでいた。それなのに、両方とも自分は中立で、教育の守護神だと思い込んでいる。
日教組が負けて、凋落した。だから、文科省も退場すべきだ。お互いに、相手が存在することが、自分が権力を持つ理由だったのだから。
ところが、文部省が退場しない。ソ連が崩壊したのに軍縮をしなかったアメリカみたい。”国家戦略としての教育”なんて言い出して、政権にすりよっている。そんなのやめましょう。教育は、子どもの目の輝きだけ見てやってればいいんです。
文部省の権限は、戦後暫定運営をそのまま固定したもの。カリキュラムも教科書も、「ゆとり」とか「学力」とかの方針も、ぜんぶ配給している。これをそのまましているから、教育がどんどん萎びていく。
でも指揮体制をそのままにしてなんとかしようとする。
だから教育基本法なんかに手をつける。ついでに、文科省権限の拡大が行われる。
教育基本法は、抽象的で無難な法律です。
教育がうまくいかないのを、教育基本法のせいにするのは無理があります。
(転載歓迎 古山明男)