いのちがひかる瞬間。

皆さんこんばんは、うたうたい秦千香子です。
いま、テレビで、自殺未遂を起こして病院に運ばれてくる人たちの心のケアをするお医者さんのドキュメンタリーを見てました。
日本において、一日で自殺するひとは1000人にも上るんだそうです。
一命を取り留めた人たちが、男の人も女の人も、
生きててよかった、なんて言わないことが怖かった。
みな震える声で口を揃えて「死にたい」って言う。
担当医の方は、まず、その人たちに優しい声で話しかけて、
胸のうちに詰まってる話をゆっくり聴く。
最初は話したくないと言ってた人たちも、
ある瞬間から、別人みたいに、堰を切ったように胸のうちを話す。
誰も自分の話なんて聞いてくれない、
誰も自分のことなんて認めてくれない、
一人ぼっちでとても怖い、
生きてることなんて意味がないじゃないか。
リアルなこころの声に、どきっとした。
たとえば恋人と別れて酷く傷ついた若い女性。
たとえば家族が離散してしまった30台の男性。
ほかに何も見えなくなってしまうくらい、寂しさが暴れてとめられなくなってしまったんだろうな。
今年、木村伊兵衛写真賞をとった岡田 敦さんの写真集「I am」を読んだときも思った。
ぎくりとする。命を投げ出しそうになってた人の姿。
だけど岡田さんの写真集は、苦しみぬいた主人公の瞳が最後はまっすぐ前を向いていく。
言葉はひとつもないけど、うちは確かにその写真集を「読んで」、そんな主人公の姿に自分をどこかで重ねて感動して泣いてしまったのです。
多分みんな誰でも、人生に何回かそんなことあるんじゃないかっておもう。
罪悪感を伴う記憶。
一人ぼっちの夜は不安を掻き立てる。
さびしくて怖くて駄目な自分が嫌で嫌で。
受け止めるにはたくさん考えて、自分が前に進むしかないって知ってても、
それすら怖くてできなかった時があった。
でもそれをなんとか乗り越えたおかげでいまは、
生きてるほうが、自分を好きになるために頑張るほうが、
ずっと素敵だって思えるから、
生きて歌ってられるこの人生は最高に幸せと思える。
誰かの嫌なことばかり目に付いてしまうときもあるし、
相変わらず自分は駄目なやつだけど、
その分、幸せな有難うもたくさん見つける日々に変えていこうと思えるようになった。
我侭とは違う芯を強く持てる人になろうって思えるようになった。
それに、辛いとき、自分を追い詰めてるときには見失いがちだけど、
自分のことをあったかく受け入れてくれる人や、
自分のことを命を懸けて産んでくれた人が、
この世界には間違いなく存在してるもんね。
せめてそんなひとを、悲しませたらいかんのではないか。
なんてことを、思いました。
昨日また山ほどカレーを作りました。
今回はトマトとナスをたっぷり入れて。
旬のものは美味しくて栄養価も高いから沢山採らないと。
トマトなんかお肌ぷりぷりになりますからね。
こういうのを沖縄の言葉で「ぬちぐすい(命の薬)」と言うそうな。
沖縄のことばって、ブラボー。
死ぬまで生き抜こうとおもいました。
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