指導? - カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

指導?


「体罰」と一括りに論じ得る問題でもないのでしょうが、個人的には賛同できません。
もちろん、体罰によって改善が促されるケースだって多々あるのかも知れません。けれどもそれは飽くまで限定的なシチュエーションにおいてのみ効果を発揮する類のものであって、いつでも、誰にでも体罰、というのはあり得ない話です。「愛情があれば」とか「本人のためを思えばこそ」などという大義名分も単なるナルシシズム、自己陶酔以外の何物でもないと思います。そうか、これが愛情なのか、なんて素直な子供なら簡単に洗脳されてしまうでしょうから、殴られて「ありがとう」くらいのことは言う(実際は言わされているのですが)かも知れないし、それを聞いて殴った側の自己陶酔にも一層拍車がかかるわけですが、100%愛情だけで成り立つ体罰なんて実に嘘臭い。何十発も殴って、それらがすべて「愛情」ですか? 百歩譲って1発目は愛情だったとしても、残りはただのストレス解消ですよね? 仮に体罰が正しいとしても、1発で理解させることが出来ないのならそれは殴る側の能力不足であって、能力不足の指導者もまた体罰を受けるべきでは? 



そもそも「愛情」の名のもとに本当に体罰が良いものとされているのなら、大人の世界でも体罰が認められ、企業の研修マニュアルにも「言うことを聞かない部下は殴って分からせましょう」などと書かれているはずです。指導する相手が未成年だから、というのはいかにもおかしい。社会に出た途端にすべての善悪が分かるようになるわけでも無し、何をもって大人だからという理由だけで子供を殴る権利があるというのか。

僕の経験から言えば、体罰は憎しみ以外の何も生まない。その場では殴られるのが嫌で言うことを聞くでしょうが、そこには本当の意味での反省はありませんから、殴る人がいないところで、また同じことを繰り返すことでしょう。果たしてそれが「本人のため」なのですか? 自分の目の前でさえ良い子でいてくれれば良い、という寧ろ「自分のため」の体罰ではありませんか?
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