日本語って深い。 「日本人も悩む日本語(朝日新書)」を読みました。 - カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

日本語って深い。 「日本人も悩む日本語(朝日新書)」を読みました。

最近東京での仕事が時々あり、必然新幹線に乗る機会が増えました。
新大阪からの2時間半は、主に普段なかなか出来ずにいる読書の時間に充てています。




先日読んだのは言語学者加藤重広氏の著書「日本人も悩む日本語(朝日新書)」。
言葉の本来の意味や用法だけにとどまらず、単純に「正しい/間違っている」という二元論では片付けることのできない、「誤用」の起こるメカニズムや時代背景などについても明快に解説されていて目から鱗でした。

この手の本に頻出するのが「普段何気なく使っているこの言葉、本来はこのような意味だからこのようなシチュエーションで使用するのは誤り。『○○○○』というのが正しい用法である」という論法です。
しかし、著者は言語学者の立場から、これらを簡単に判じることは難しいと言います。

例えば「食べられる」を「食べれる」と言う「ら抜き言葉」。
これは公的な場や文書において用いられるべき表現ではないが、実際この言葉を使う人の割合は着実に増えているのも事実です。
これに対し著者は「ら抜き言葉は正しい用法ではないから絶対に使ってはならない」と頭ごなしに批判するのではなく、「ら抜き言葉」が使われるのにはそれなりの理由があり、だからこそここまで広まっているのだというスタンスを取っています。

いかなる言語においてもこのような「誤用」は常に存在しているし、誤用の方が大勢を占めた結果、誤用が「新しい用法」に昇格し、反対に正しい用法が「古い用法」へと格下げされるのも珍しいことではないそうです。




読んでいるとまさに驚きの連続でしたが、その中のひとつに、副詞「全然」の肯定表現というのがありました。
「全然」の使い方として「全然平気です」というのは本来誤りだと思っていませんか?

僕もそうでした。

「全然笑えない」という風に「全然~ない」と組み合わせて使うのが正しい、そう教わった気がします。
実はもともとこの「全然」、古くから肯定文の中でも当たり前のように使われていたそうです。

逆に「とてもおいしい」というのは本来誤った使い方で、「とても正視できない」のように「とても~ない」と組み合わせて使うべきものだったとのこと。
僕も肯定文で「とても」を使うことがありますが、「大変」とか「非常に」に較べると何となくカジュアルな表現だなあとは思っていました。
誤用から始まって市民権を得た用法というのは得てして軽くなりがちですよね。




こうした例を挙げるまでもなく、言語というのは慣用が集積したものとも言え、従って生き物のように変容していきます。
そもそも、正誤の基準となる学校文法すらも数ある文法体系のひとつに過ぎないというのですから、誤用については許せるか否かという主観でしか判断しようがないのかも知れません。


僕が何と言っても許せないのは、テレビで芸能人が良く使う「出(だ)させていただいて」というフレーズです。
これは「出していただいて」か「出(で)させていただいて」じゃないとおかしいですよね、少なくとも学校文法においては。
しかし、たまにテレビを観ると殆ど100%と言っても差し支えないほど誰もがこの「ださせていただいて」を使用しています。
これもいつかは主流になっていくのでしょうか?







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