ヒンズースクワット。
by |2009-12-14 02:38:40|
初めての海外旅行が、どういうわけかインドでした。
インドは僕に、旅することの楽しさを教えてくれました。
その後もいろんな国を訪れましたが、あの時インドに出会っていなかったら、それらの国々を旅することすらなかったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/8b/9185e0863f683a1ce99956f0e229f2f0.jpg)
アンコールワット(カンボジア)も、ヒンドゥー寺院として創建されました。
旅のハイライトとなったシヴァ派の聖地ヴァラナシは、この世界の混沌を残さずぶちまけ、執拗に攪拌したような街でした。
音、色、匂い。
すべては濁流のように溢れ、狂った悲鳴のような無秩序に溶け合っていました。
僕たちは小舟に乗り込む。コーヒー色のガンジスに浮かぶ小さな笹になる。
岸に設けられたガート(沐浴場)には下半身を水に浸し、祈りを捧げる無数の人々。
子供たちは泳ぎに夢中になり、頭を洗う人や、衣服の洗濯をする人の姿も見える。ダルシムみたいな老人が、褐色に延びた細長い身体を折るように、無心に屈伸運動を続けている。
ああ、これが本場のヒンズースクワットか。
怖ろしいことに、ガート近くで売られているチャイ(ミルクティーみたいな飲み物)は、ガンガー(ガンジス河)の水を沸かして作っているらしく、間違って僕たちのような旅行者が飲もうものなら確実に地獄を見るというウワサ。
インド最大の聖地と聞いてもっともっと厳粛な雰囲気を想像していたのですが、何と言うかもう、ぐちゃぐちゃです。
舟に乗っている間にも別の舟が近付いてきてモノを売りつけてきたりするしで、静かにもの想いに耽るなんてことは到底出来ません。
ここでは聖と俗、日常と非日常とが厳然と隔てられているのではなく、一切合財がこの大河のようにうねり、強烈に混じり合っているのです。
「自」と「他」の輪郭すらも曖昧にするようなカオス。
梵我一如という語がありますが、ヒンドゥー教においての「解脱」は、宇宙の根本原理「梵(ブラフマン)」との合一というニュアンスが強く、我々仏教徒の考えるそれとは若干解釈が異なるような気もします。
しかしそれも、ヴァラナシに一歩でも足を踏み入れたことのある人なら、すぐに理解できるはず。
混沌の中に潜む、「大いなるもの」。
抗うことの出来ないチカラ。
今でも人生の様々な局面で、僕の中にインドはその姿をあらわします。
最近は仏教との関係性においてインドやヒンドゥー教を考える機会が多いですね。
具体的に語り出すと長くなるのでここではあえて触れませんが、
とりあえず日本で「変わり者」などと揶揄され心を痛めておられる方は、ぜひインドを体験してみてください。
ああ、自分って何て常識人なんだって、きっと安心できるはず。
インドに行く人は皆インドに呼ばれて行くんだと、遠藤周作の小説に書かれていたような気もしますが、
僕もまた、インドさんに呼んでいただいたクチなんでしょうか。
2度も呼んでいただいて、光栄っス。
■ 加登のこと、もっと知りたい方は・・・・・
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