2007年11月16日のブログ記事一覧-カトカト日記 ~霊園・墓石の株式会社加登 公式ブログ~

Baby, it's you.....

ついこのあいだ出産のため退社したAさんが、ふらっと会社に立ち寄ってくれました。
しかも、ベイビイ(♀)同伴で!

抱いてみてって言ってくれたので恐る恐る抱かせてもらったものの、子供なんてほっとんど抱いたことのない僕。緊張が伝わったのか、予想通りベイビイちゃんは身体をぎゅっと硬くする。か弱い力で何とかこの場を逃れんと、捕まったバッタのように(喩えが悪い? ごめんね!)もぞもぞと蠢く。

む、無理、きっと泣く!
って言うかその前に僕が泣く!

そう思って4.3秒だけ抱いてすぐにお母さんの腕に戻ってもらう。
たちまち彼女の緊張はほぐれ、解放された人質のようにニコニコと笑いながらお母さんの身体に額を擦り付ける。可愛い。

30余年生きてきた僕が、生まれて4ヶ月とかのぽっと出に負けてしまった。何だったんだ、僕の人生・・・。


うーん、それにしても、ちょっと見ないうちにいきなしお母さんかよ・・・。
何と言うべきか、生き物としてものすごく尊敬してしまう。

僕ときたらメシばっかバカバカバカバカ食って、その割には何にも産み出してないぞ。
いかんいかん。

頑張れ、自分!

そんな自己憐憫はさておき、生命ってすごいです。
亡くなった方をお祀りするのが我々の仕事なわけですが、こうして身近なところでは、新しいいのちが次々と生まれている。

加えて、開眼法要など霊園での法要の場には幼い子が列席していることが多い。
亡くなった方のお孫さんだったり甥、姪だったり子供さんだったりと様々ですが、長い長い一生を終えた魂とそれを見送る幼い生命とのコントラストがひとつの大きなうねりを形成し、大河のように未来へと確かに流れていくのを強く感じます。

死を感じることは、生を感じることだ。

死があるから生がある。

人がもし死ななかったら、生なんて単なる持続に過ぎない。
生が尊いのは、観念としての死が存在するからだ。

死という瞬間で区切られた生を、大切に生きる。
歳をとったとかそういうのもあるのでしょうが、死と切り離せないこの仕事に携わるようになって、却って生命の眩さみたいなのに対しとても敏感になったような気がします。


・・・写真アップしたいなー。



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