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旅猫旅日記

写真と文で綴る旅の風景

飛鳥山のヤマザクラ

2006-04-08 | 東京
江戸時代まで、桜といえばヤマザクラのことを指していたが、ソメイヨシノ(染井吉野)が生み出されて以来、あまり目立たなくなってしまった。それでも、かの有名な吉野の桜はヤマザクラであるし、東京の小金井公園でもヤマザクラが中心である。飛鳥山にも、江戸時代にはヤマザクラがたくさん植えられていたが、現在は、ソメイヨシノを中心に、サトザクラ、ヤマザクラ、シダレザクラなど7種592本の桜が植えられているそうです。
写真は、飛鳥山より、JR線の走る荒川方面を望んだものです。江戸時代、飛鳥山で桜と共に名物になったのが「かわらけ(土器)投げ」で、田んぼが広がっていた写真下のほうへ投げる遊びが流行ったそうです。鉄道が開通した明治初めに禁止されたそうですが。

飛鳥山の桜

2006-04-05 | 東京
江戸時代より、桜の名所として有名な飛鳥山。今でも、桜の季節になると大勢の人が花見に訪れる。この日も、足の踏み場も無いほどの花見客で賑わっていて、すれ違うのも大変な有様。それにしても、ブルーシートというのは風情が無くてよくないですね。それでも、見上げれば満開の桜が美しい。写真は、飛鳥山公園にある北区の飛鳥山博物館前の桜です。飛鳥山の桜の写真は、旅猫の雑記帖の写真館にもありますのでどうぞ。

飛鳥山の脇を走る都電

2006-04-03 | 東京
音無親水公園を後にして、飛鳥坂を登って滝野川の酒類総合研究所へ向かった。飛鳥坂は、旧日光御成街道が飛鳥山に沿って王子駅前に下る坂で、一般道路に都電の軌道があるのはこの坂と、小台~宮ノ前間だけです。江戸時代はかなりの難所だったらしく、荷車を押して手間賃を稼ぐ者がいたそうです。今でも、都電の運転手にとっては難所らしいですが(笑)。写真の都電は、懐かしい昔の都電の塗装を纏った車輌で、季節柄、窓ガラスに桜の花のシールが貼ってありました。

新緑と桜

2006-04-02 | 東京
音無親水公園は、石神井川の河川改修で流れのなくなった旧音無川の跡を利用した公園です。昨年秋に訪れたときは、桜の葉が紅葉していてとても美しかったのだが、花の季節もまた素晴らしい景色を見せてくれました。

不忍池にて

2006-02-24 | 東京
羽を休めている2羽の鳥は、あの丹頂鶴です。
北海道の釧路湿原などに生息することが知られていますが、なぜ上野の不忍池にいるのでしょう?答えは簡単。ここは、上野動物園の一部となっている不忍池なのです。そうとは言っても、池の向こうに立ち並ぶビルと丹頂鶴という組み合わせも、東京という街では、さほど違和感を感じないのも不思議です。

猫柳と寛永寺五重塔

2006-02-23 | 東京
後に写っている塔は、寛永8年(1631)に建てられ、失火焼失後の同16年(1639)に再建された上野東照宮の五重塔です。明治に入ってから寛永寺の所管となり、現在は東京都が管理。国の重要文化財の指定を受けたもので、戊辰戦争や関東大震災、東京大空襲といった災難にも耐え抜いた、江戸期の貴重な遺産です。今は、上野動物公園内にあり、不忍池越しに頭だけ見える姿はなかなかのものです。

上野動物園

2006-02-21 | 東京
19日の日曜日、上野の山にある東京都美術館で企画展を観覧した後、時間があったので、うん十年ぶりに上野動物園に立ち寄ってみた。当時の記憶は全く無く、初めて来たような気分。色々な動物たちを見て回りましたけど、年を経ても、なんとなく楽しめるものですね。パンダなど、小学生の頃は夢中で見ていたものですが、さすがに当時のように興奮はしなくなりました。そう、西園へと降りる坂の途中から見えた冬枯れの不忍池がきれいでした。

旧東京大学医学部附属病院分院

2006-02-13 | 東京
目白台を散策していたら、古い病院のような建物があった。入口の看板を見ると、東京大学医学部附属病院分院とある。現在は使われていないようだったので、後で調べてみると、平成13年3月いっぱいで廃院(本院に統合)となったとのこと。この病院は、80年以上の歴史があり、宮沢賢治の妹トシが、大正7年12月下旬から翌18年1月下旬まで入院していた永楽病院(東京帝国大学医学部付属 病院小石川分院)が前身。跡地は、東大キャンパスの三極(本郷、駒場、柏)集中化の財源確保のため、売却されるそうである。なかなか味のある建物だし、閑静な住宅街の一角にあり、都心では貴重な広い土地。高層マンションなどが建たないことを祈ります。