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旅猫旅日記

写真と文で綴る旅の風景

越後路の旅12

2006-05-02 | 新潟
越後平野をトンネルで抜けると、突然冬に逆戻り。中越地震で被害を受けた小千谷から、越後湯沢の手前の越後中里まで、越後平野の春の景色が嘘の様に、平地でも雪がまだ積もっていた。豪雪だったこの冬、まだ春が遠いところもあるのですね。
写真は、温泉でやはり少しは温かいのか、雪解けが始まっていた越後湯沢です。上越国境はもう目の前。

越後路の旅11

2006-05-01 | 新潟
新発田の街を散策後、再び新潟へ戻り、駅構内で駅弁を購入。
この後は、地元の駅までのんびり各駅停車の旅。まずは、信越本線で長岡まで行き、そこから上越線に乗り換えて、越後と上州の国境を越えます。
写真は、新潟駅で買った「越後もち豚 豚角煮弁当」です。肉厚な角煮が三枚入って1050円。ちょっと高めだが、食べ応えのある駅弁でした。暖めて食べたらもっと美味しいのだろうが、冷えているのもまた駅弁の醍醐味。

越後路の旅10

2006-04-30 | 新潟
新発田駅から、のんびりと歩いて新発田城跡へと向かう。
新発田城は、鎌倉初期、加地庄の地頭職に任じられた源頼朝の家臣佐々木盛綱(加地氏を名乗った)の支族新発田氏が築いた城。築城年は不明らしい。上杉景勝に対して謀反を起こし新発田氏が滅亡。秀吉時代に上杉氏も会津へ移り、溝口伯耆守秀勝が6万石で新発田城に入封した。以来、江戸時代を通して溝口氏が城主となる。現在残る城跡は、この溝口氏時代のものです。完成したのは、3代宣直の時で、秀勝が縄張りをしてから実に56年後のこと。現存する建物は、本丸表門と二の丸隅櫓(本丸鉄砲櫓跡に移築)のみであるが、平成16年に、古写真などを基に、三階櫓と辰巳櫓が史実に基づく伝統木造工法を用いて復元されました。
写真は、本丸表門です。

越後路の旅9

2006-04-29 | 新潟
新潟市内で1泊し、翌朝、新潟駅から白新線の普通列車に乗り込み、終点の新発田を目指した。途中、進行方向右手に残雪が美しい飯豊連峰が絶えず望め、越後平野の広大な田園風景と共に楽しめました。
写真は、新発田駅に到着した白新線の普通列車。新発田駅は、羽越本線と白新線の出会う駅。新潟と酒田や秋田を結ぶ特急いなほがこの白新線を通るため、羽越本線の新発田~新津間は、運転本数も少なくまるでローカル線のようです。そんな長閑な線ですが、大坂と札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」をはじめ、4本の特急寝台が新発田~新津間を通り、本線の面目躍如といったところ。
ホームからは、雄大な飯豊連峰の山並みを望むことも出来ます。

越後路の旅8

2006-04-28 | 新潟
宿へと戻る途中、新潟市のシンボル「萬代橋」を訪れてみた。
「萬代橋」は、明治19年11月、それまで渡し舟しかなかった信濃川下流に架けられた木造の橋が始まり。当時は、個人所有の有料橋だったそうです。その後、新潟大火で消失、明治42年12月に2代目が完成。当時の信濃川は、現在よりも川幅がずっと広く、橋の長さは、現在の橋(全長307m)よりも長い782mもあったそうです。そして、本格的な自動車時代の到来と共に、昭和4年8月に現在の3代目が姿を現しました。
写真は、「萬代橋75周年記念事業」として平成16年から進められてきた改修復元工事が終わり、ほぼ架橋当時の姿になった萬代橋。なお、平成16年7月には、国の重要文化財に指定され、これを機に、橋の名も「万代橋」から以前の「萬代橋」へと改められたそうだ。また、橋詰の地下にある「万代クロッシング」には、発掘された初代、2代目を支えていた基礎杭が展示されています。

越後路の旅7

2006-04-27 | 新潟
弥彦駅を後にして、新潟駅へと戻り、とりあえず荷物を宿の置いて市内観光へ。といっても、それほど時間があるわけではないので、日本海に面した水族館「マリンピア日本海」へと向かうことにする。この水族館は、日本海側最大規模の水族館と謳っているのだが、これまで見てきた水族館の中でも、かなり中途半端でちょっとがっかり。サッと見てまわり、陽が傾きだした海岸線へ出てみた。風はそれほどでもなかったのに、波は結構打ち寄せていました。沖合いには、薄っすらと佐渡ヶ島が浮かんでいた。

越後路の旅6

2006-04-26 | 新潟
弥彦駅へ戻ってきたが、列車の発車時刻までは1時間ぐらいあったので、駅前で昼食を取ることにした。4軒ほど店があったが、その中の「はなみや食堂」に入った。メニューは、いかにも駅前食堂と言った感じでうれしい。少し悩んでチャーハンを注文。しばらくして出てきたそれは、あっさりとした和風の味わい。そう、「焼きめし」と言ったほうがぴったりで、香ばしい玉ねぎと豚肉が程よく入って美味しかった。沢庵などの漬け物が添えられているのも和風っぽいです。
素朴な味わいが気に入ったので、また訪れることがあったら、もう一度食べてみたい。「きのこ丼」とか、他のメニューも気になるし。

越後路の旅5

2006-04-25 | 新潟
弥彦山から下りてきた後、麓にある弥彦温泉で日帰り入浴。塩素臭が強かったし、湯船も好みではなかったのは残念。
写真は、弥彦駅へ戻る途中にあった弥彦公園の満開の桜です。地元の人たちが、お花見を楽しんでいました。

越後路の旅4

2006-04-24 | 新潟
ロープウェイに乗り、弥彦山の山頂へ向かおうと思ったら、運の悪いことに天気が下り坂。それでも、せっかくここまで来たのだから、とりあえず登ってみることにした。山頂駅周辺は霧で霞んでいて、展望はほとんど無かった。まずは、弥彦神社の奥宮に参拝するため、山道を歩いて山頂を目指す。道沿いの木々の足元には、カタクリやイチリンソウなどが咲いていたが、曇り空のためか花びらは閉じていた。
写真は、展望台から日本海を望んだものですが、晴れていれば、佐渡島が見えるはずなのに、残念ながらわずかに海が見えただけでした。

越後路の旅3

2006-04-23 | 新潟
弥彦駅から歩き始め、弥彦の温泉街を抜けると、弥彦神社の赤い鳥居が見えてくる。鬱蒼とした森の中の参道をしばらく進むと、正面に社殿が現れ、門を潜ると、落ち着いた感じの拝殿が、弥彦山を背にして鎮座していた。弥彦神社の創建年代は不明らしいが、万葉集にも詠われていることから、かなりの歴史があり、越後国一ノ宮として「おやひこさま」と親しまれているそうだ。背後にある弥彦山全体が神域で、山頂には御神廟と呼ばれる奥社がある。弥彦神社の社殿は、明治末期の大火で消失してしまったため、現在のものは大正期の再建。
訪れたときは、時間が早かったこともあり、境内には人影もまばらで、巫女さんたちが参拝客を迎える準備で忙しそうだった。拝殿に向かい、旅の無事を祈願。何だか気持ちが引き締まったようだ。

越後路の旅2

2006-04-22 | 新潟
吉田駅で弥彦線に乗り換え、弥彦山の麓にある弥彦駅へ。
降り立った弥彦駅のまわりは、ちょうど桜が満開だった。駅近くを散策して、十数枚の写真を撮ったのだが、このカットが一番気に入った。ところが、そっくりな構図の写真が、「旅の手帖」の表紙に掲載されているのに気付き、ちょっとがっかり(^^;
それにしても、ローカル線の行き止まりって、旅情をとても感じますね。

越後路の旅1

2006-04-21 | 新潟
金曜日の夜、思いつきで夜行列車に乗った。新潟行きの快速「ムーンライトえちご」だ。新潟到着は、早朝の4時51分。越後線に乗り換えて、急遽決まった今回の目的地、弥彦へと向かうことにした。
写真は、越後線に揺られているとき、車窓から見た越後平野の夜明けです。