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Shafiq al-Hout を偲んだ?(導入部分+訳注+α)

2009-09-27 19:49:59 | パレスチナかイスラエルか
今更ながらの話になってしまうが、パレスチナ解放機構(PLO)の設立者の1人である Shafiq al-Hout(شفيق الحوت‎)氏を追悼する(?)論稿の紹介。
・"Beiruti in Jaffa, Yafawi in Beirut": Shafiq al-Hout's story in his own words (2009年8月4日 Electronic Intifada)

つーか、Shafiq al-Hout 氏って誰?
と思ったら、実は佐藤 真監督『エドワード・サイード Out of Place』に出演していた模様。
・SIGLO『エドワード・サイード Out of Place』出演者(cine.co.jp)

この出演者紹介部分に掲載されている Shafiq al-Hout 氏の発言では、サイードがパレスチナ民族評議会(PNC)を辞めた理由を語っているのだが・・・。


そもそも、PLO の設立経緯について俺が良く知らない(忘れてる)というオチ。
無論、アラファトの若い頃についてもろくな知識もないしな(馬鹿)。
ましては、アラファトより目立たない位置にいた(多分) Shafiq al-Hout 氏については言うまでもなく・・・。

ってことで、Shafiq al-Hout 氏を追悼する(?)論稿を適当に日本語訳にしてみた。
例によって訳文の正確性は一切保証しな(略

・Shafiq al-Hout 氏を偲んだ?(その1)(2009年9月27日 flagburner's blog(仮))
・Shafiq al-Hout 氏を偲んだ?(その2)(2009年9月27日 flagburner's blog(仮))

で、この記事では上 2つの訳文に対する訳注を記しておく。

---- 以下訳注 ----

訳注0:Mayssoun Sukarieh 氏(原文の筆者)は、Roane Carey 氏著『The new Intifada: resisting Israel's apartheid』に寄稿していた模様。
・The new Intifada: resisting Israel's apartheid 著者: Roane Carey(Google ブックス)

なんでも、レバノンの Shatila 難民キャンプで教師をしてたらしいが・・・。


訳注1:musahharati(Misaharaty:مسحرتي)は、エジプトの方で主に使われてる呼び名らしい。
パレスチナの場合、エジプトからの文化的影響が強かったんだろうけど・・・。
この辺については、以下を参照(手抜き)。
・JOYS OF RAMADHAAN(al-inaam.com)


訳注2:Youseef Whabi(يوسف وهبي)は、エジプト出身の映画監督兼俳優(1898~1982)。
とにかく、数々の映画作品を手がけていたおかげなのか、エジプト情報省にまで作品リストが作られる始末(苦笑)。
・Youssef Wahbi(sis.gov.eg)

『The Street Kids』の原題は『Awlad el shareh』。
なお、『Green Table』は、1932年に Kurt Jooss が手がけたバレエ劇のこと。
おそらく、Whabi 氏はエジプトで上演する際の演出やら翻訳やらを担当したかと、。

Israil Yasin は、エジプト生まれの俳優(1915-1972)。
Mohamed Abdel Wahab は、エジプト出身の音楽家+俳優+歌手(1907-1991)。
この辺は以下を参照・・・。
・Who’s Who - Mohamed Abdel Wahab(jasminjahal.com)
Leila Murad は、エジプト生まれの歌手+女優(~1995)。
↓は、Leila の死後10年に出された評伝らしい・・・。
・Decade Later, Layla Murad Still Unforgettable Artist(2005年 Vol. 11, nos. 50/51 Aj Jadid)

"al-Shahroura" Sabah(本名 Janet Gergi Feghali)は、レバノン生まれの歌手兼俳優(1927~)。
どうも、1940年代に歌手活動を始めた際、エジプトで映画に出演も始めたらしいが・・・。
・SABAH - Al Qalaa ("Wa2fi 3arass Al Tal3a") (2008年6月20日 VANDEMECUM ARABIC MUSIC)


訳注3:Abdel al-Husseni 氏は、1948年4月8日の al-Qastal [Jerusalem の西8km にあった村]における戦闘で戦死した模様。
また、1930年代~1948年にかけてユダヤ系軍事組織が起こした混乱(Nakba はその帰結)やアラブ諸国とユダヤ系団体の関係については、以下の記事を参照(手抜き)
・Jerusalem: 50 Years of Dispossession(badil.org)


訳注4:1930年代にユーゴスラビア領となったセルビアには、結構な数のイスラム教徒が住んでいた。
ユーゴスラビアに組み込まれた国々に住んでいた、イスラム教徒の人達がアラブ解放軍に参加した経緯とその結末については以下の記事を参照(手抜き)。
・Strange bedfellows(2008年5月9日 jpost.com)


訳注5:Jaffa 陥落とその前後に関する経過については以下を参照(手抜き)。
・THE CONQUEST OF JAFFA(etzel.org.il)


訳注6:Ibrahim Abu-Lughod(إبراهيم أبو لغد‎,)は、Jaffa 生まれの学者+教育者(1929-2001)。
レバノン亡命後米国に渡り、プリンストン大学で博士号(政治学)を取得。
大学教授をやる一方で、様々な政治活動に関わったとかなんとか。
この辺は以下を参照。
・In Memoriam:Ibrahim Abu-Lughod (1929-2001)(wrmea.com)


訳注7:American University of Lebanon は、1866年にベイルートで設立された私立の大学。
主に米国の思想とかについて教えている大学らしい・・・。
なお、現在でも法学部は存在しない。
・American University of Lebanon


訳注8:George Habash(1926-2008)は、パレスチナ出身の政治家?
1967年に立ち上げられたパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の設立者の1人。
・Obituary George Habash(2008年1月27日 guardian.co.uk)

Wadie Haddad(1927-1978)は医者で、ギリシア正教を信仰する家で生まれた。
George Habash とともに、アンマンでパレスチナの人のための診療所を立ち上げたが・・・。
・Wadi' Haddad(webgaza.net)


訳注9:Mansour Fareed Armaly は、パレスチナ出身の医者(1927-2005)。
緑内障の研究で有名・・・らしい。

Armaly が al-Hout 氏と接触していたのは、AUB で医学部に所属してたからだと思われる。
ただ、Armaly の経歴を踏まえると、AUB では目立って政治活動をしてなかったと思われる。
じゃなきゃ、al-Hout 氏のように追放されるのがオチだろうしな・・・。
この辺は↓参照。
・Mansour Armaly, 78, Leader of Early Study of Glaucoma, Dies(2005年9月19日 nytimes.com)


訳注10:Mufti Amin al-Husseini(محمد أمين الحسيني)は、パレスチナ出身の活動家。
1930年代~1940年代にかけて武力闘争で活動していたらしい。
・Who was the Grand Mufti, Haj Muhammed Amin al-Husseini?(Palestine Facts)

なお、Mansourieh はベイルートの東にある村。
ただし、al-Husseini がベイルートに移住したのは 1959年なので、一時的に滞在していたというのが正確?

また、al-Nouzah はベイルートの Basta Tahta にある公衆のトルコ風呂屋(日本の『トルコ風呂』とは意味が違うので注意)。
多分 al-Hout 氏達は、この風呂に入った後で al-Husseini 氏に会うつもりだったと見た。


訳注11:Burj al-Barajneh(برج البراجنة‎,)は、レバノンから車で1時間の距離にある難民キャンプ。
Rashidieh は、レバノン南部の Tyre から数Km にしてイスラエル(パレスチナ)国境から十数キロの所にある難民キャンプ。

Tel al-Zaatar 難民キャンプでは、1976年にレバノン内戦のさなかに、Shatila は1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻のドサクサで虐殺が起きた。
また、Rashidieh 難民キャンプは イスラエル軍による 1982年と 2006 年のレバノン侵攻で大きな被害を受けた。
この辺は以下を参照。
・Photostory: Palestinian refugees, Rashidieh(2008年10月24日 Electronic Intifada)


訳注12:Charles Helou は、1964~1970年にレバノンで大統領職(名誉職らしい)を務めたことがある政治家(1912?-2001)。
一応1951年~1952年にかけてレバノンの外務大臣なんてのも務めている。
なお、問題の事件が起きた頃の大統領は Bechara Khalil El-Khoury だと思われる。
・Lebanon(worldstatesmen.org)

多分、al-Hout 氏か Sukarieh氏の記憶違いか。


訳注13:Sami as-Solh(سامي الصلح)は、レバノン独立前・独立後に首相を5度(1942-43、1945-46、1952、1954-55、1956-58)務めた政治家(イスラム教スンナ派)。
al-Hout 氏のインタビュー内容から判断すると、3回目の首相時代に問題の事件が起きたと思われる。


訳注14:Adib ibn Hasan Shishakli(أديب بن حسن الشيشكلي‎)は、1953年~1954年にシリアで大統領を務めた元軍人。
1949年のクーデターで政権の座についた後は、共産主義者やイスラム兄弟団などに弾圧を加えてたとか何とか・・・。
(faculty-staff.ou.edu)


訳注15:al-Hawadeth は、毎週金曜日発行の週刊誌。
政治ネタからゴシップモノまで広く扱ってるっぺぇ。
ちなみに、最新版(2009年9月25日分)で第2760号。
・Al-Hawadeth


訳注16:補足しておくと、PLF 設立は1961年で、PLO 設立は 1964年。
ただし PLF は、1967年に PFLPに名称変更後、1968年に一部メンバーが脱退→再結成→PLO に入る、というややこしい歴史をたどっている。
なお、PFLP は al-Hout 氏の死去に伴って、追悼のコメントを発表している。
・PFLP mourns the loss of the great national leader Shafiq al-Hout(2009年8月3日 PFLP)
---- 訳注以上 ----

なんつーか。
俺も Shafiq al-Hout 氏のような行動力+魅力が欲しいところだわな。
いや、本当の話。


それはそうと。
何たって Hamas と暫定政府(というか Abbas 議長)はいがみ合いばかりしてるのやら(怒)。
そういうことをやってるから、イスラエルや米国・EU・ロシア・UN に対してパレスチナ難民とかの問題についての主張への説得力が薄れてるってのに・・・。

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