flagburner's blog(仮)

マイナーな話題を扱うことが多いかもしれません。

Infini, qual es la responsabilità morale e civile degli scienziati?(Nov 11, 2014)

2014-11-11 20:21:04 | 時事ネタ(国内)
2009年4月、イタリアのラクイラ(L'Aquila)付近を震源とする地震で300人以上が犠牲となった。
この地震に際して、学者などによる「安全宣言」が被害を拡大したとして犠牲者の遺族などが裁判を起こし、2012年10月に科学者や行政側の担当者へ有罪判決が下された。
が、この判決については、各方面から科学者の立場を脅かすという懸念が出ていた。

そして、被告側は一審の判決を不服として控訴。
昨日になって、控訴審の判決が言い渡されたのだが・・・。
・イタリア:地震学者ら逆転無罪に 実刑の1審判決破棄(2014年11月11日 毎日jp)

色んな意味でコメントに困るのこの話。
以下、2014年11月11日分毎日jp『地震学者ら~』を全文(略)

---- 以下引用 ----
【ローマ 福島 良典】
2009年4月のイタリア中部ラクイラ大地震の直前に出された「安全宣言」が犠牲の拡大を招いたとして地震学者ら科学者6人が過失致死傷罪に問われた裁判で、ラクイラの高裁は10日、禁錮6年を言い渡した12年10月の1審地裁判決を破棄し、逆転無罪の判決を出した。

 技術的に困難とされる地震予知を巡り、科学者の刑事責任を問うことができるのかどうかが裁判の焦点で、1審有罪判決後、内外の科学者から判決の妥当性を疑問視する声が出ていた。

 マグニチュード(M)6.3のラクイラ大地震では309人が死亡した。
大規模災害のリスクを評価する委員会は大地震の5日前に一帯で観測されていた群発地震について、「通常の地質学的現象」と位置づけていた。

高裁判決はリスク評価委員会のメンバーだった7人のうち、地震学者や災害専門家ら科学者6人について全面無罪とし、政府市民防衛局技術部の元次長に関しては、一部の被災者に対する過失致死傷罪で禁錮2年を言い渡した。
判決理由は後日、開示される。

 判決言い渡しの際、傍聴席にいた震災犠牲者の遺族らから「恥を知れ」との怒りの声が上がった。
遺族らを代表する弁護士は「元次長をスケープゴートにした判決」と批判した。

 イタリア紙コリエレ・デラ・セラ(電子版)によると、傍聴した遺族らは「国家は裁かず、自らの保身に走った」「犠牲者は(今回の判決で)再び殺された」などと語った。

 これに対して、被告科学者が要職を務めていたイタリア国立地球物理学火山学研究所のグレスタ所長は「判決によってイタリア科学界全体の信頼性が再確認された」との声明を出した。
---- 引用以上 ----

↓コリエレ~(Corriere della Sera)の元記事。
・Sisma a L’Aquila, ribaltata la sentenza
Assolti scienziati della Grandi Rischi
(2014年11月10日 corrire.it;イタリア語)

参考までに、2014年11月10日分 corriere.it『Sisma a L’Aquila~』から毎日jpで紹介されてる部分を(略)
ただし、そこに対応する部分の下に適当日本語訳を記しておく。
例によって、適当日本語訳の正確性は一切保証しな(略)

---- 以下引用 ----
[以下原文]
(中略)
«Ce li hanno ammazzati un’altra volta»

«Vergogna, vergogna!».
Così il pubblico ha accolto all’Aquila la lettura della sentenza della Corte d’Appello.
«Non finisce qui. Vergogna. Mafiosi. Uno Stato che non fa più giustizia, uno Stato che difende sé stesso», sono altri commenti urlati dai cittadini abruzzesi presenti in aula.
«Ma c’è la legge divina di Dio, che vede tutto e che esiste tuttora», è il commento di un padre che nel sisma del 6 aprile ha perso il figlio.
«Ce li hanno ammazzati un’altra volta», scrolla la testa un’altra parente delle vittime.
(以下略)

[以下適当日本語訳]
「恥を知れ、恥を!」
アクイラの大地震に関する控訴審の判決が言い渡された際、
「これで終わったわけじゃない。恥を知れ。悪党ども。国家は自らを裁かず、自らの保身に走った」などの声が、裁判を傍聴していた人達(おそらく犠牲者の遺族の方々など)からあがった。
息子を(2009年)4月6日の大地震で失った父親は、「(科学者やイタリア政府とかに対し)世界のどこかで全てを見通している神の裁きが下るであろう」と述べた。
「犠牲者は今回の判決でもう一度殺された」、と犠牲者の遺族の1人は頭を振りながら語った。
---- 引用以上 ----

犠牲者の遺族にしてみれば、科学者だって「安全宣言」に関する責任があるだろってのが正直な所か。
とはいえ、最終的にその情報を公表するか否かについては行政側(この場合元次長だが)が責任を負うのも事実で・・・。

というか、件の「安全宣言」に関して科学者の道義的な責任は否定できないかと。
その辺は、現地での関係者へのインタビュー調査などを行った大木 聖子(Satoko OOKI)氏の見解が参考になる。
・ラクイラ地震 禁錮6年の有罪判決について(5) 5.科学者はどうすべきだったのか
(2012年10月24日 raytheory.jp)

参考までに、2012年10月24日分 raytheory.jp『ラクイラ地震~』を全文(略)

---- 以下引用 ----
2011年1月に2人の科学者にインタビューをした際,行政に利用されたとはさらさら思っていないような印象を受けました.
国家市民保護局長官と州政府市民保護局長との電話音声のやり取りが出てきて初めて気付かれたのかもしれませんが,翌2012年4月に伺ったときは前年とは違ったようすでした.

科学者はどうすべきだったのか.
率直には,なぜ記者会見の場に同席して,誤った会見を訂正しなかったのか,と思います.
これを科学者らや国家市民保護局に聞いてみると,これまでの大災害委員会では会見は委員会開催後に必ず開かれていたわけではなかったのだそうです.
私がインタビューをした科学者2名は,委員会が終わったのでローマに帰ろうとしている最中に,勝手に会見が開かれていたと言っていました.
知らない間に自分たちの意図することとは異なる意見表明がなされていた可能性があるのです.

このことから,以下の教訓が得られます.
行政や政治家の諮問で開催される委員会は明確な目的を持っていることが多いですが,科学はそのような一本道で意見ができるものではありません.
しかも白黒はっきり結論できることなんてこの世の事象のごくわずかです.
ですので,会見には科学者は同席して,偏った意見に収斂しそうな場合は,科学的見地から適宜修正すべきです.
現在進行形の誰も結論が分からないような現象に関しては,そういった情報をすべて提供した上で,個々人による判断,あるいは政治的判断が下されるべきです.

次に,安全宣言が出されたというニュースを聞いてすぐに,「そこまで安全とは言っていない」と表明するべきだったと思います.
それによってパニックが起きるかもしれない・・・という考えで辞めるのは政治判断であって,科学者のすることではありません.
科学者は科学に正直に,科学的に安全とは言えないのであれば,「安全とは言えません」と伝えるべきでした.
同じように「絶対に危険なことが起こるとも言えません」と言わなければならないので苦しいところですが,地震災害のように,ひとたび起きれば命にさし障る情報であるならば,たとえ確率は低くかったとしても表明しておくべきだったでしょう.(でもこれをやると,「煽ってんじゃねーよ!」という苦情や罵声が山ほど来てたいへんなのも事実です.)

最後に,やはり委員会の場で,もっときっちりと,安全か危険かの二分で物は言えない,と言うべきだったでしょう.
先述のNHK-BSを拝見した限りでは,この点において,委員会の場でも,委員会メンバーが行政側の安全宣言に傾倒した意見が出されていたような印象を受けました.
---- 引用以上 ----

安全か危険かに限らず、二分法を好むのは政治家だけじゃないとはいえ。
なんか、委員会に参加した科学者が自分達の置かれている立場と責任を過小評価していた感が否めない。
その1つは、委員会で自分達の見解を出して終わりじゃない、ということだが・・・。


いずれにしろ、(まだ終わってないとはいえ)今回の一件は、世界中の科学者に大きな教訓を残したと言える。
自分達の(科学的)見解をいかに多くの人達に伝えるか、ってのはその1つだが・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。