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From victim to perpetrator?(Jan 29, 2015)

2015-01-29 21:30:42 | 時事ネタ(国内)
今回は少し古めのネタ(謎)。


度々言われてることだが、戦争体験を世代を超えて語り継ぐってのは非常に難しい。
それは、被害者としての被害事実のみならず加害者としての加害事実も・・・。

で、世間でどういう戦争体験が好まれてるかと言えば、どうも被害事実っぽい。
かつて、大阪国際平和センター(ピースおおさか)という施設における展示を巡って起きた騒動はその一例かと。
・【あの戦争と向き合う(下)】戦争博物館:加害直視の理念消える 「自虐」批判受けて(2014年8月19日 47news.jp)

ピースおおさかの展示については何かと「自虐的」という非難が出ていた。
しかし、事態が大きく変わったのは、橋下 徹(Tohru HASHIMOTO)氏が大阪市長に就任してから。
2年前に、大阪府と大阪市はピースおおさかの展示内容から加害事実を示すものを大幅に減らす改修計画を出した。
以下、2014年8月19日分 47news.jp『戦争博物館~』の終盤部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
▽台無し
 11~12年、橋下 徹氏が大阪市長となり、第2次安倍政権が発足すると批判は過熱。
大阪市議会で設置理念を根本から変えるよう迫った自民党市議は「侵略戦争では断じてない。自国をおとしめて他国との友好を言うのはおかしい」と主張する。

 「過去を反省することは自虐ではない」と市民団体などは抵抗した。
しかし、出資者の大阪府や大阪市が主導して13年9月、加害の展示を事実上なくし、大阪空襲の被害の展示に特化する形で改修する計画を公表した。

設置理念そのものが消滅していく事態に、有元[引用者注:ピースおおさか初代事務局長の有元 幹明氏]は「世界平和を願う市民の築いたものが台無しになる」と嘆く。

95年12月、小中学生が恒久平和を願い玄関脇にタイムカプセルを埋めた。
掘り出すのは戦後100年の45年。
有元は深いため息をつく。「戦争の愚かさを忘れた国が、そのとき『戦後』のままでいられるか」(敬称略)
---- 引用以上 ----

(良くも悪くも話題のネタを探す才覚に優れてる)橋下市長達がピースおおさかの展示内容を変更したのは、日本には自分達の加害事実を直視したくない人達が結構な割合を占めてることを感じ取ったからだと思われる。
そもそも加害事実を伝えるのが難しいのは、当事者の中にある心理的な壁が想像以上に大きいってのがある模様。
・コラムーひとりごと9「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」(2014年12月26日 リベラル広場)

上の記事では、従軍慰安婦と第二次大戦中における日本軍の加害行為に関する小話(?)を述べた上で、加害事実を語ることの難しさを指摘していた。
以下、2014年12月26日分リベラル広場『コラムーひとりごと9~』から『難しい戦争体験の継承』の部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
{難しい戦争体験の継承}
以上「従軍慰安婦」と「旧日本軍の加害行為」について、実際の「証言」を添えて事実の一端を述べたが、実際上、こうした戦争体験を後世に伝えていくことの難しさを感じた。
その主な理由は、戦争体験者が80~90歳代と高齢で少数な上に、どこまで話してくれるのか、わからない。
元々、戦争経験なんて思い出したくないイヤな事だろうし、特に被害事実はまだ語れるとしても、加害事実は誰にも言わず、封印しておきたいのが本音だろう。
しかし戦争は相手国もある以上、加害事実も被害事実もトータルで学ばないと、真に当該戦争の歴史を学んだ事にならないだろう。
幸いな事に今は、IT技術も映像技術も相当に発達しており、こうした技術も駆使して、何とかリアルな戦争記録を残せればと思う。
(以下略)
---- 引用以上 ----

実際、俺の祖父(3年前に死去)は、たま~に中国に陸軍の一兵士として出征した際の体験を語ってたけど、語ってたのは体調不良で寝込んだとか(戦場でのことかどうか不明だが)銃弾を受けて死にそうになったことばかり・・・。
ついぞ、祖父は俺に加害体験について語ることはなかった。
まぁ、たいていの場合加害体験は子ども達の前で語るに語れない内容なのかもしれんけど。
(つか、祖父が陸軍でどういう役割を与えられてたかどうか不明なのだが)

それと、加害事実を語ることが難しいのは、その事実を語ることで様々な非難を受けたくないという心境もあると思われる。
語った内容について非難されたくないってのは理解できるのだが・・・。
(加害事実を誇らしく語る人がいたらどう接するべきなんだろうか?)

色んな意味で難しい課題だ。


参考?:加害事実を語り継ぐことに関する課題の1つは、歴史教育のあり方っぽい。
その辺について、村川 治彦(Haruhiko MURAKAWA)関西大学教授が立命館大学人間科学研究所が刊行してる『共同対人援助モデル研究 報告書3 「歴史のトラウマの世代間連鎖と和解修復の試み:国際セミナー「南京を想い起こす2011」の記録-」』で公開した報告書で意味深な報告を行っていた。
・一人称から歩み直す「戦争体験」-体験心理学に基づく歴史・平和教育の構築に向けて(2012年2月?日 ritumeihuman.com;.pdfファイル)

以下、ritumeihuman.com『一人称から歩み直す「戦争体験」~』から『被害/加害から共生へ:歴史・平和教育の方向性』の一部を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
教育学者高橋 舞(2009)は「人間成長を阻害しないことに焦点化する教育学―いま必要な共生教育とは」の中で、「新しい歴史教科書をつくる会」の小林 よしのりや「自由主義史観研究会」が主張した「日本人性」を取り戻すことで現代の問題を解決できるとする言説を批判的に検討している。
その検討を通して高橋は、彼らの主張が浸透していく日本社会が抱える「能力主義に基づく格差拡大による問題と、すべての問題を網羅する根本的問題として『関係性の危機』の問題」に対する本当の原因と解決策を提示することの必要性を指摘している。

高橋(2009)にとって、「『被害者のための自己教育』から『加害者のための自己教育』へのパラダイム・シフトが必要なのは、既存の教育学が他者への暴力―他者の植民地化―を推奨し、また自己への暴力―自己の植民地化―をも強制するものであったため」(p.274)である。
この点を踏まえて、高橋は問題の根源に「出会いを妨げる近代性」があることを次のように指摘している。

現代の教育問題の原因は『日本人』性の欠如でも、近代の未達成でもなく、『植民地主義』という他者との『出会い』を妨げる、近代性の継続にあったといえる。
単に効率的植民地化を可能にする集団の境界線が変動(日本国民→日本人エリート)しているだけで、内実は戦争時代と変わらずに『出会い』を排除し、相変わらず植民地化し、植民地化され続けている結果である。
誰に出会うことも出会われることもない、ゆえに私たちは、孤独、関係性の危機を感じるのである。
この“出会わないことで維持される社会―一人の人間ではなく『何者』かになることを強制される社会―”としての近代が乗り越えられない限り、現代的教育問題は解決されず、私たちは本当に解放され自由になることはない。(p.276–277)
(以下略)
---- 引用以上 ----

教育ってなんだろうね?


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