毎週 江ノ島でセーリングを愉しみ 人生を愉しむ♪

ヨットを自作し帆走♪
中古ヨットを買って直しながら帆走♪
多岐にわたる知識が必要ですがマダマダ

キャンセルの思い出・・・・

2011年12月21日 | Weblog
横浜は 今日はドホンヨリとした天気で
とても 寒いです

今 CL50で配達に行って前を走っている原付きのスクーター
なんか ヨロヨロ

おかしいな~?
と思ってみると 右足を突き出したまま

どうも 骨折して ギブスをしているようでした


こんなのが 僕の前で転んだら 巻き添えを食ってしまう・・・・

と、前に出たかったのですが・・・・・・・・

抜かせなかった
ハエ~~~~

信号待ちで追いついて
左から チョン と、蹴っ飛ばしたら起き上がれないこと
逆さまになった 亀の如し









昨日 娘が来て
夫婦で
にっぽん丸で沖縄の離島めぐりをするそうだ

お~そうか♪
楽しみだね~
お父さんが病気になっても行っておいでね

と、笑いながら話すと

モチロン!!

と言っていた


そこで 思い出したことが一つ

僕が始めてアメリカに旅行に行こう!!
と決め 予約を済ませ
レンタカーを安く借りるために
ニッポンレンタカー が提携している ハーツの会員になり
何処で 何時から 借りる
と言う手配もし・・・・

直前になって
父が 癌で入院 手術

どうしようか? と思っていると

母が 折角ここまで準備したんだから行っておいで

と言われ

姉たちも いないときは お店の手伝いをするから大丈夫
行っておいで

と言ってくれ

出発当日 電報が届いた
キオツケテイッテコイ
みたいな文章で 病院にいる 父から

届いたと思い 今 アルバムを見に行ったのですが・・・・・
ないな~

他の時だったかな??

それで 僕は予定をキャンセルしたことはない
と、思い込んでいたのですが

あった!!

これに 関連したことで思い出しました

それは

今から 30年ほど前

たしか・・・・トヨタ スターレット のキャンペーンで
10日間 あなたなら 何処を どうやって スターレットで走る? その費用は?

のような 募集があった

そこで僕は書いた

手書きで

当時 パソコンはおろか ワープロさえなかった

調べる手立ても殆どなく
頼るのは それまでに蓄えた知識のみ


で、書き上げたレポートは数十枚

と 書きたいところだが そんなにはなかったと思う



当然 その存在を知っているのは
僕と トヨタの広報の人だけ

場所は アメリカ大陸

学生の頃から憧れて コトあるごとに調べていた
トランス コンチネンタル オブ アメリカ

正に 水を得た魚の如く書き綴った

アメリカ合衆国の国道は
南北に奇数
東西に偶数

この国道を
井上陽水さんの 東へ西へ の如く





って、別に歌が 旅に心が動かされる と言う曲ではないのですが・・・・・

単に 東から西へ

と言う だけで・・・・・・・・・









アメリカ大陸を 東から西へ移動する

すると

10日間のうち 4日間が 一日 25時間になる♪

もし 逆に 西から東へ向かうと 23時間になる日が4日もある

10日を有効に使うには

と、確かその切り口から入ったと思う

当時僕が乗っていた ニッサン サニーは町乗りで
リッター 15Kmくらい走っただろうか

チョット 遠乗りで 20km/l 位だったかな

そこで

当時 アメリカでのガソリン代は 1リットル40円くらいだったと思う

これを ガロンで計算して費用を出すより
経費を計算するなら

10マイル 1リットル
で計算した方が速い!!

1リットル当たり 10マイル 16km 走るだろう

と言う ガソリン消費量の計算

走行距離は

その前年にレンタカーでディズニーランド
と言う 今思えば かなり大胆な行動を取るために

当時 横浜では売っていなかった
アメリカ合衆国の
ロードアトラス
を東京の紀伊国屋まで買いに行っていた


だって・・・・・
今思えば・・・・
小学校の社会の時に使う
地図帳くらいの雰囲気で

ここに行きたいんだ

と、ガスステーションのお兄ちゃんに聞きまくっていたんだから



と言うことで 手元にあった

パソコンはなくても
情熱と
計算機はあった


ルートを決め

ワシントンDC から南にメキシコにちょこっと入って
 カナダに向かって 北上
チョコット 入って西へ
ルートは良く覚えていないのですが
サンフランシスコが最終目的地だったと思う









マイルの足し算は計算機で出来る
そうなると ガソリンのそう消費量も判る・・・・・



それより前に一度 ソビエトの東端

ナホトカからヨーロッパに抜ける方法も調べた

どんな車が手に入るかわからない

どれくらいの 燃費性能なのかもわからない

それなのに
何処で何リットル給油したいのか!!

と言う予定表まで出さないと当時のソビエトはガソリンさえ容易に手に入らず
事実上完璧シャットアウト

と言う状況でした

1リットルで
僕の車が 15km走っても
アメ車は 5km

ソビエトの車は????

調べようがなかった・・・・・



ロスアンジェルス が目的地ではなく
サンフランシスコにしたのは 単に
堀江謙一さんの
マーメードと同じにしたかった



一日の食費 等をいくらにしたっけ?

車の中で寝るのは 当時の僕には当たり前のことだった

このレポートを人知れず
夜 暇になってから お店で一人書いていた

無事書き終え送った

半年くらい先が決行日
だったと思う・・・・・

発表は締め切りのアト 何ヶ月か経っていた
と思う

もう 僕の心から忘れた頃


忘れたのは
まず 通らないだろう

だって、実行できるのは 一人


それでも、僕なりに調べて書き上げたことは一つの成果で
今も心の隅に・・・・・・

と言いたいが シッカリ忘れていた


忘れたのは 他にも理由がある

父の病気が進行し
毎日が 危ない状況

何度 病院に呼び出されたか

と言う時期に トヨタから電話があった

おめでとうございます

はい・・・?


ご応募いただいた 10日間○○キャンペーン

選考の結果


と、そこまで聞いて

すみません キャンセルします

次点の人に行ってもらってください
じつは・・・・・・


と、話をさせてもらいました


直前になってキャンセルしたら
僕一人の問題ではなくなってしまう
僕一人 だけが最終的に残ったわけでもないだろう
候補が何件かあったはずだ

それなら 確実に実行できる人に譲った方がよい

と、考えたからだ



その時の話は
つい最近まで誰にも話していなかった

だから 当然僕の頭の中からも消えていた

でも、行こう!! と思ったことは忘れ得ないので

子供が大きくなって

皆で トランザム しない??

と言ったら

やだ!! お父さんの計画は車かテントで寝るから

う~ん

見透かされている

そのとき行ったら 僕は一切英語を話さず
と言うより 大して話せないので
僕は一切英語を話せず・・・・かな?

子供たちだけに話をさせよう

と、思っていたのだが・・・・



仕方がない 

その数年後
バイクで行こうか?

と、案を練り直したりもした

でも、バイクだと広い国土
冬服をフロリダで日本に送り・・・・・

メキシコ国境近くの山間は寒そうだ

となると 最後まで荷物が多そうだ

などなど 30年前のレポートは形を変え
僕の心の中に時々頭を持ち上げます

あの時 調べたことが無駄にはなっていない


キット 僕が息を引き取る寸前まで
可能性があればやってみよう

と、又計画だけ立てるんだろうな~




でも、
トヨタのキャンペーン
家族に相談したら
皆 行け!!!!!!

って 父も含めて
言ってくれたんだろうな

だから 相談しなかったんだな~~






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