毎週 江ノ島でセーリングを愉しみ 人生を愉しむ♪

ヨットを自作し帆走♪
中古ヨットを買って直しながら帆走♪
多岐にわたる知識が必要ですがマダマダ

パラオの思い出・・・・・

2015年04月08日 | Weblog
2015年 鳥来月 8日

今日はなんとしても運転免許試験場に行って
ゴールド免許にになろう



苦節何年?
青いラインの免許を甘んじて使用していましたが



忘れもしない
江ノ島からの帰り道
いつものように 裏道を抜けて帰ろうとしたら

先週までは 入れた道路が
ある日突然時間帯で進入禁止になり・・・・・

おりしも居合わせた?
そこで お待ちいただいておりました警察官に呼び止められ


おかげで 任意の自動車保険も高くなり・・・・


でも これで 車の保険の更新ができる

待ってました ゴールド免許

と思っていたのに・・・・・・





今日 天皇陛下がパラオにいらっしゃる
というので


これは 書かねば・・・・・・・

という 理由ではなく
単に 冷たい雨が降っているから・・・・・




こうして いつも ぎりぎりになってしまう・・・・・
免許更新の期間が長いのも 考え物ですね






先日
焼きそばを食べていたら
一緒に食べていた娘が
この モヤシ って栄養あるんだって

と テレビで聞いたという知識の披露

へ~

でも もやしっ子 ってひ弱なことを言うけど栄養あるんだ

うん もやしっ子 のことも言っていた

じゃ もやし って何の芽?

え~? 大きくなるの?

だって 種から出たばっかりが モヤシだから
大きく育てば 何かしらの大木? になるんじゃない?

ナニに なるんだろう??




今の携帯は 携帯するパソコン

娘が調べると・・・・・

大豆の芽 とのこと

畑のお肉 と称される大豆
その赤ちゃんの芽なら 栄養があって当たり前だね
その上 安い
すげ~

と家族一同盛り上がりました





さて

パラオの話・・・・・

先日もここに 皇室として 政府として 海洋国家として
一隻くらい 本物のヨットを購入して
各国の要人をおもてなしするときにも使えばよいのに

という 提案をさせていただきましたが

戦争 と パラオ
について・・・・・




僕が パラオに行ったのは 僕がまだ 未成年の頃・・・・

そのころは 日本軍が侵攻していった
と思っていました
小学校 中学校 高校
とそのように勉強してきておりましたので
そう思い込んでおりました



ところが 現地の人と話をしていても
そんな 話はとんと出てこない
ばかりでなく

日本が統治していたころは良かった

と お年寄りが言っておりました




何度も ここに書かせていただいておりますが・・・・
第二次世界大戦の突端は 大東亜戦争で
その戦争は日本の侵略戦争
ではなく
日本が欧米の侵略戦争を阻止しようとして起こした戦争
ということを
日本人として心にしまっておく必要があると思います

しまっておく

のが 正しい と思います

これを前面に出して
世界に発信するのではなく

隣の国が 戦争責任だ 従軍慰安婦だ 戦後の賠償だ A級戦犯だ
といった時に 引け目を感じるのではなく

しまっておいた この気持ちを心の支えに
話し合いができればと思うのです


大航海時代を経て
ヨーロッパの列強は 東へ東へと植民地を増やしていった

植民地??
侵略戦争?
どう違うのでしょう

インド に行き 中国にアヘン戦争を仕掛け
極東の小さな島国にたどり着いた

その時 安土桃山時代?

織田信長 豊臣秀吉の時代

東へ東へ と文明から遠ざかり一番端の未開の地・・・・
そこにも 未開の民がいる 簡単に征服できる

と 思っていたであろう 西欧人は
そこに 茶の湯を嗜み 侘びさび の風情の文化に接し
どんな 衝撃があったのか
想像するにたやすいことです

第一 靴を脱ぎ 家の中を清潔にし 箸で食べる
衣食住が整っている

そのころの西欧は
手づかみで フランス料理を食べ
夕方 トイレの溜まった 糞尿を 道路に撒き散らしていた
だから ハイヒールが必需品だった
草履なんか履いていられる状態じゃないから 靴を履いた

女性の ふわっとしたスカートも
そのまま ようが 足せるように針金でわざと膨らませていた という

そ~っと 庭にでて 隅のほうで か真ん中かは知りませんが
とにかく 酷いものだった らしい
だから 早い時代に 下水道が完備された


そのころから 日本では
溜めた糞尿は 畑に運び肥料にした

実にキレイな世の中だった

という



香港をイギリスが植民地とし
およそ 150年統治した

その期限を僕はこの目で見ることができるとは思っていなかった・・・・
だって 小学生の頃 1997年なんて 遥か未来のことだった
だって そのころ 中学校だって 未来のことだったから

上海だって
インドだって
東南アジアの国々をどんどん植民地にしていった

これでは いかん

アジアの国々を守るべく立ち上がった 日本

その過程で本来の志から逸脱し
無意味な玉砕を強いたこともありますが
始まりは 至極明快

今 浅い海にある
それこそ キット 珊瑚が沢山ある海を
埋め立て
陸地にし
ここは大陸棚から伸びる地形だから
と領土を主張する

すぐ隣の フィリピンはたまったものじゃない
ここは わが国の領土だ




沖縄だって もともと わが国のものだったんだ
県民に住民投票させよう

と陰で働き・・・・・
挙句に 漁船が取り囲み
その外側に軍艦が取り囲み

日本の自衛隊が排除しようとして発砲したら

漁船に発砲した
と声高に世界に発信し



そうだよな~
東南アジアの平和の為に
日本が何とかしよう

との心意気から 戦争に発展し
大国に負けちゃった   ら・・・・・・
戦争責任を問われ
時の 総理大臣は・・・・
A級戦犯として汚名を刻み

何故 靖国神社に祭るのだ

と非難を浴びる


これと似たようなのが
先の大戦 だと思うのです


天皇陛下はパラオに行き
申し訳なかった

と お詫びをするのでしょうが

そのお詫びは

守ってあげられなくて ごめんね
多くの戦死者を出してしまってごめんね


という意味で
平和で美しい島を
突然日本軍が侵攻してきてごめんね

という意味ではないのです


もう一度 深くご自身で調べ
僕の言っていることが
本当かどうかは ご自分で判断してください

もしかしたら 間違いだらけかもしれません

僕がこのことに興味を持ったのは・・・・
坂本竜馬が
世界の海援隊でもやりますか

と西郷隆盛に言った
と 後の外務大臣が伝えたからでした
きっかけは やはり 坂本竜馬でした

日清戦争
日露戦争

どちらも 欧米から独立 脱却を目指したものです




海から 援ける(たすける) グループ

海援隊

赤白赤
の旗


日本人の心にもう一度 自信を♪




コメント
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