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堅振:聖霊の賜物とは?聖香油の象徴する意味とは?

2021年01月31日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理 第百十講 堅振について



堅振とは
Gabriel Billecocq神父

前回は洗礼を見ました。今回は第二の秘跡、堅振を見ていきましょう。
堅振とはなんでしょうか?堅振の秘跡によって聖霊を受けます。そして、聖霊の賜物を豊かに有り余るほど受ける秘跡です。また、堅振によって、完成化したキリスト教徒、キリストの戦士となっていきます。

要するに、堅振とはまず、聖霊と有り余るほどに聖霊の賜物を豊かに受ける秘跡です。
聖霊は既に洗礼の際に与えられています。思い出しましょう。洗礼は最初の秘跡であり、霊魂の生命を与える秘跡です。洗礼の時から、洗礼者の霊魂には聖父と聖子と聖霊は居を構えることになります。

堅振の秘跡になると、霊魂における天主の現存をより深く根下ろさせるかのような効果があるということです。そして、洗礼の時に始まった「御業」を強化し、完成化し、確立し、「堅く」し、つまり「堅振」にする秘跡です。言いかえると、洗礼の際、始まった御業を霊魂において仕上げて、強化していきます。

洗礼によって天主の養子となった洗礼者は、堅振の秘跡に与ると、キリストの戦士となります。言いかえると、大人になります。堅振は信仰における通過祭のようなことで、堅振を受けると信仰において大人になります。堅振に与る者は超自然の生命において、大人になります。
以上は堅振の秘跡の粗筋です。「大人になった」という意味は「戦士」になったということです。つまり天主の「闘士」になりました。もちろん、いわゆる武器を持った武士ではないのです。キリストの戦士になったというのは、天主の栄光のために戦っていく者になったという意味です。
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信仰において大人になったおかげで、信仰において堅振者は社会において輝かしくなったという効果があります。それも大事です。大人になるというのは、社会上の使命を果していくということでもあります。

「大人」というのは、本来ならば身体と精神の成長が終わったという意味ではありません。いや、本来ならば「大人」というのは「一人前」になって、道徳を実践できる状態にあって、社会上に使命を果たし、輝かしくなっていくということです。言いかえると、「政治的な営み」をするのは大人です。ここでいうと「政治的な営み」の意味は俗にいう意味ではありません。厳密にいうと、道徳を実践していくという古典的な意味です。

要するに、堅振の秘跡は信仰において子供である洗礼者に刻印を与えて、それによって大人となります。大人として確立されて、信仰において「堅く」なります。以上でお分かり頂いたかと思いますが、天国に入るために堅振の秘跡は必要ではありません。救霊を得るためには、洗礼を受けて、聖寵の状態にあることだけが必要不可欠な条件です。

しかしながら、堅振の秘跡に与っていない信徒は非常に強い援助を受けないことになりますので、そして、もしも意図的に堅振を拒むようなことがあったら、深刻な罪となります。ですから、天国に入るためになるべく堅振を受けるようにしましょう。ただ、天国に入るために必要な条件ではありません。
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他の秘跡と同じように、堅振も質料、形相、執行者、能力者からなっています。それから、教会の意向をもって執行する条件もありますが、それは典礼で確立するのです。

さて、堅振の質料はなんですか?堅振の遠因の質料は「聖香油」です。「聖香油」とは「オリブ油とバルサム(芳香性樹脂)」の混ぜ物です。聖木曜日の時、司教が作る「聖香油」です。バルサムは樹脂であって、非常に芳しい物です。かなり素晴らしい香りで、しいて言えば潤いの香りがします。オリブ油と混ぜて、祈祷を捧げながら司教によって祝別されたら「聖香油」となります。

秘跡を授けるために、司教は「聖香油」を使います。「聖香油」は遠因の質料です。近因の質料は「聖香油」を堅振者の額につける仕草です。「聖香油」の付け方は「塗る」ことによってやります。つまり「塗油」です。具体的に、司教の手によって、十字架の印を切りながら「聖香油」を額に塗るという仕草です。


言いかえると、具体的に司教は堅振を授ける時、堅振を受ける信徒の頭に手を置きます。超自然の人生においてまだ子供である信徒ですね。つまり、司教は按手して、そして同じ手の親指をもって十字架を額に切り塗油します。親指に「聖香油」があるから、額に「聖香油」を塗ります。
以上が堅振の質料です。

では、秘跡の形相はなんでしょうか?以上の仕草をやりながら、つまり、「聖香油」を額に塗りながら司教が唱える言葉が形相です。
司教の言葉は次の通りになります。「我、聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、汝に十字架を記し、救霊(たすかり)の聖香油を以て汝を堅固にす」。

この言葉と仕草の象徴性は高いです。「汝に十字架を記し」という部分はもちろん大事です。洗礼によって私たちはイエズス・キリストの弟子となって、つまり、すべてにおいてイエズス・キリストに倣い、教わることになります。そして、イエズス・キリストは救霊の手段を与えました。それは十字架です。十字架によってこそ私たちは救われました。

言いかえると、キリスト教徒だったら、必ず十字架において生きていかなければなりません。十字架によって活かされています。「私のあとに従おうと思うのなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、従え。」(ルカ、9,23)と私たちの主は仰せになりました。キリストの弟子になるとはキリストに従うことです。そして、私たちの主の教えは十字架です。

十字架こそはキリスト教徒の枢軸となります。「汝に十字架を記し、救霊(たすかり)の聖香油を以て汝を堅固にす」というのは、十字架について恥じることはありません。恥じてはなりません。ですから、一番目立つ額に十字架が記されているということです。十字架についてキリスト教徒として恥じてはいけません。十字架こそがキリスト教徒の特徴であり、我らの主への従属を示す十字架なのですから。「汝に十字架を記し」。

で、その十字架を記すには、聖香油を使います。オリブ油とバルサムの混ぜ物です。バルサムはキリストの芳香性を象徴しています。バルサムは芳しいから、非常に良い香りを漂わせる物です。嗅いだことのある方はわかると思います。それは、堅振を受けた信徒はバルサムのようにある種に輝くように、つまり芳しく真理がひろまるように。

そして、本当に天主の内に生きておられる方に近づいた経験があると、聖人のような人々に近づけると、なんかどことなくキリストの芳しさによってつつまれている不思議な空気、これらの方々は輝かしいです。バルサムはそれを象徴しまします。


堅振を受けた信徒は、より徹底的に十字架によって生かされるべく、より徹底的に聖徳において生きていくべく、それによって自然に私たちの主、イエズス・キリストが堅振者から輝くようになります。

オリブ油は戦うための剛毅、強さを象徴します。古代において、オリブ油は戦闘と格闘の時に使われていました。それによって敵は自分を握れないようにしていたのです。これにたとえて、オリブ油は戦うための強み、力を象徴します。

そして、司教は以上のように塗油してから、司教が堅振者の頬を軽く打ちます。塗油されたので、堅振者は信仰において大人となりました。打ちながら、「汝、平安あれ」と司教が言います。

この頬を打つことによって、戦うために、私たちの主、イエズス・キリストの栄光を守るために必要になっていく「勇気」を示します。言いかえると、イエズス・キリストのために来るまで戦う勇気を備えるように。
以上、質料と形相を紹介しました。

次は、堅振の秘跡の通常の執行者は司教です。司教の委任があった場合、非常時の時、限られた場合、司祭も執行者となりえます。例えば、幼児は瀕死になる場合、司祭は堅振を与えることができます。そうすることによって、堅振の刻印を与えて、天国でより多くの聖寵を受けることになります。ちなみに、東洋では、堅振の秘跡は通常ならば、洗礼の秘跡のすぐ後に司祭によって与えられています。

要約すると、通常の執行者は司教です。なぜでしょうか。堅振によって大人になりますので、司祭職において完成である司教が与えるのが適切だからです。しかしながら、司教の委任があった場合、あるいは必要な時に、司祭も堅振の秘跡を授けることはできます。
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次に、堅振の秘跡を受ける能力者は洗礼者です。堅振を授かるため、洗礼を受けたという条件があります。当然と言ったら当然ですが。東洋では洗礼だけの条件で十分です。

ラテン教会では洗礼のすぐあと、必要がない場合、堅振に秘跡を与えてはいけないことになっています。子供は分別がつく年齢になる条件もあります。それだけです。それ以上に待つ必要はありません。厳密にいうと、聖体拝領はまだしていないとしても堅振の秘跡を受けてもよいです。

実は、フランスでは昔からガリカニスムという誤謬の影響もあって、堅振の秘跡を遅くして授かる陋習があります。なにか、12・13歳を待つことが多いです。ちょっと遅いかなあ。
もちろん、堅振の秘跡を受けると大人になるから、その条件として、信仰の基礎をしっかりと知っている上に、よく教育されている条件があります。が、これらの教育は聖体拝領するための前提教育と同じぐらいなので、聖体拝領ができる時、堅振を受けることもできるということです。

ですから、7歳になっても、堅振を受けることは全然あり得ることです。子供次第ですが、準備ができたら待つ必要はありません。信仰において大人になってもよいのです。堅振の秘跡のお陰で、大人として社会において使命を果たしていくための聖寵を受けることができます。
通常ならば、堅振の秘跡は聖体拝領のあとに授かることが多いでしょう。聖体拝領の一年後あるいは二年後あたりに。
もうちょっと教義などを深めて身につけた時、堅振の秘跡に与るとか。特に現在においては、信仰の真理を深めることは昔に比べて妨げが多いかもしれないから、聖体拝領のあと、一年後ぐらいとかが最近は多いです。



堅振の秘跡が効果をもたらすためには「聖寵の状態」にある条件があります。もしも、「聖寵の状態」にないのに、堅振の秘跡を受けても、それに伴う聖寵を受けないことになります。もちろん、それでも、有効に堅振の秘跡を受けて、堅振者となります。ただ、それに伴う聖寵は受けないのです。聖寵に戻った時、つまり告解に行った時、その効果を得られることになります。

最後に、堅振の秘跡の効果を見ていきましょう。堅振の秘跡は聖成の聖寵をいや増していきます。ここでいう「いや増す」というのは、霊魂においてより堅く深く植え込むという意味です。それによって、聖霊はより活発に霊魂において働きかけてくれるようになるということです。以上は堅振の秘跡の第一の効果です。

堅振の秘跡の第二の効果は、洗礼のように、霊魂において取り消せない刻印を刻みます。この刻印は子どもだったキリスト教徒を完成化させます。つまり、キリストの戦士となります。いいかえると、この刻印によって、社会においての使命を果たし行くことを助け、信仰において輝いていき、隣人への良い影響力を及ぼしていく効果があります。

そして、堅振の秘跡の第三の効果は信仰のために、剛毅という、強さという聖寵を受けることです。また、聖霊の賜物に忠実である力を与える秘跡です。つまり、堅くさせるという意味です。まさに信仰において「堅振」の意味であって、確立して、強化して、強くしてという。世では信仰を告白し、実践する強さを与える秘跡です。



また、堅振の秘跡の効果でいうと「聖霊とその賜物を豊かにうける」効果があります。聖霊の賜物とはなんでしょうか?以前にもご紹介したことですから、手短にしましょう。
聖霊の賜物は霊魂に善い性格を与えるような賜物であって、これらの賜物のお陰で、聖霊の教示を従順に素直に受けるようにしてくれる賜物です。
聖霊の賜物を理解するために、通常、次のたとえがされています。つまり、聖霊の賜物は船においての帆のような役割です。聖霊は風にたとえて、帆が風を受けて、より早くよく船が聖霊に従って動いていくという。聖徳はむしろオールにたとえられています。徳のお陰で、つまるところ、オールで漕いでいるかのようなことです。

また、聖霊の賜物は現代風にいうと、聖霊の電波キャッチするアンテナという感じでもあります。
七つあります。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬畏

以上は聖霊の7つの賜物です。
洗礼の時、すでに与えられた賜物ですので、堅振の秘跡によって、さらに豊かに受けるようになれて、有り余るほど賜物を受けるようになります。


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