ファチマの聖母の会・プロライフ

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リスベート女史が結婚しなかった理由

2021年01月05日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」25章 ああ天主よ、あなたの神聖な道徳律、あなたの掟の旧式な時代おくれの規定は、いかに善いものであることか!をご紹介します

この助産婦の手記の筆者であるリスベート・ブリュゲルがなぜ結婚しなかったか?のお話です。リスベート本人も天主の神聖な掟を守りとおしました。「天主様の掟と矛盾するような権利は、誰も私に対して持ってはいないんです。」リスベートの母親も賢明な良心を持った女性だったために、娘に間違った選択を強要しなかったのです。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」25章

『リスベートさん、一体あなたはなぜ結婚しなかったのですか?』この質問は、たびたび私に提出された。ほとんどすべての妊婦が、このことを一度は知りたがった。私が、それぞれの場合の事情に応じて、あるいは調子よく、あるいは押し強く、男たちをあしらっているのを婦人たちが見るときには、特にそうである。そういうときには、『なぜあなたは結婚しなかったのですか? あなたは、男の方と交際する術をよく心得ているじゃありませんか……』という質問は、彼女たちを非常に興味がらせたのである。

そこで、私は大体次のように答えることにしている。ある一つの事柄は、誰にでも適するというものではない。そしてもし人が一度しばらくの間でも、助産婦になって、非常に多くのものを見、かつ経験せねばならぬとしたら、結婚をあえてする前に、そのことを十回どころではなく、もっとたびたび熟考させられるであろう。また、この職業は、私が解釈し、かつ実践しているところによれば、ほんとに私の生活を完全に満たしてくれる。もはや私の心の中には、男を入れる余地は全くない……心の最後の片隅に至るまで、男のことを入れようとしても、すべて無駄である、と……

しかし、今日この場合には 『なぜ、あなたは結婚しなかったのですか?』という質問に答えることは、むずかしい。というのは、今この質問を、何の気づくところもなしに、私にするその妊婦は、もし私がかつてその男と結婚したなら、私のものとなり得たであろうところの妻としての席を占めており、そして今や、その男と結婚したがために、十字架を背負わねばならないその当の本人だからである。(その十字架を背負わなくてもよいように、天主は私をお護り下さったのであった――)

長い一夜を、もうすでに私はこの母親を見守っているが、その間、いろいろな記憶がよみがえって来た。このような時には、記憶は呼ばなくても現われて来るものである。もう、あれから長いことだ……殆んど二十年になる。このリスベートも、一度は人並みに、自分自身の家庭のことを、自分の子供のことを夢見たことがあったのは……一人の男の愛によって自分が得るはずであった幸福を信じたのは……何の悪い予感もなく、信頼して……

彼は、よい相手であった。少なくとも私の境遇にとっては。大工場の代表者で、多額の収入があった。彼のある叔母さんのところに婚礼があったので、このリスベートは花嫁衣裳を縫う手伝いをするために、数週間も、その家に行くことができた。その家で私は、当時の一般の習慣通りに、その家族の中に立ちまじって、その男と近づきになった。すべてが善くかつ正しいように思われた。私の叔父は、その男の人格と境遇とを調べた。人々は、私にぜひその幸福を逃がさぬようにと、 非常に勧めてくれた。

そして私は、婚約した。私の心臓は、燃えた。それを告白するのを、私はちっとも恥かしいとは思わない。人間の心と心が邂逅するということは、およそ地上のあらゆる出来事と同じように、実に創造主の世界計画にもとづくのである。また、私は信じるのであるが、もし娘たちへの求愛が全く真面目であり、真実であるように見えるならば、その求愛に対して彼女らが全く無関心に留まり、そしてどうしてもそれに興味を覚える気にならず、または、それが無駄に終るというようなことは、殆んどないものであると。

しかし私の場合は、そこに何ものかがあった……何か間を分離するようなもの、見知らぬものが、私の心の前に立っていた……突然、踏み切り線路の柵のように、警告し停止を命じつつ立っているものが。これは、相手のアルベルトが、言葉にせよ、愛情においてにせよ、あるいは希望においてにせよ、家庭という伝統の狭い柵の中から、少しでも拔け出そうと試みたときには、まさにそうであった。彼は繰返し繰り返し、ここまたはそこで、二人きりで会うこと、一晚、二人きりで散歩に出かけることを私に承諾させようと試みた。

すると、直ちに私の心の中に警報が鳴った。たとえ、当時の普通の教育によっては、それが何故であるかということは、私の理解し得ないところであったか。とにかく私は、なぜこの二人きりということが必要なのか、少しも判らなかった。家庭内でも、私たちは、ちっとも窮屈ではなしに、お互いによく知り合い、そしてあらゆる将来のことを語りあう時間と機会とは十分にあった。かようなわけで、私は彼の希望に応じなかったが、このことは、明らかに彼の機嫌を損じた。



私が家へ帰ろうとしているのを彼が聞いたとき、彼は私にこの機会を利用して、一度、まる一日を自分に捧げてもらいたいと申し出た。彼のいわゆる『お互いに一度よく愛し合う』ための、かような絶好な機会は、逸すべきではない。自分は真にそうする権利がある、というのであった。
『何の権利ですって? 私がこの家にいなくなったら、あなたはいつでも私の家へ、母のところへいらっしゃればいいんです。』
『あんたは将来、全く僕のものにならねばならないんですよ。あんたは、僕を愛しているということを見せて下さらねばならない。さもないと、僕はもはやそれを信じるわけには行きませんよ。もしあんたが、そんなにますます気取ったり、拒んだりするのなら……』

その当時、私はその要求の意味が判っていなかった。しかし、著しい不安が私をとらえた……彼の眼の中にきらめき燃えたっている焰に対する恐怖、そんなにうるさく迫って来ても私には理解できなかった情欲に対する恐怖が……
『お止しなさい! あなたが何のことを話していらっしゃるのか、私には判らないんです。でも私はただ、私たちの天主さまに全く属しているだけで、ほかの誰にも属していないんです……』そして私は部屋を出て、彼をそこに置き去りにした。

しかし、その新しいもの、判らないもの、それは今や、私の心の中にしっかりと坐り込んで、もはや私を放そうとはしなかった。この奇妙な言葉の裏には、何が潜んでいるのか? それは一体、何を意味するのであろうか、私はぜひそれを明らかにしたかった! その晩、私は聖母教会へ行った。翌日は、御昇天の祝日であった。その大きな教会の主任司祭は、優しい御老人であるが、私はその司祭に、告白のとき、右のことについて尋ねようと思ったのであった……
司祭は、私によく忠告して下さった。私はそのお方に、永遠に心より感謝したい。

叔母さんは、私に説教して、きのうのように、私の婚約者を外らすような、そんな交際振りをしてはいけないと言った。もはや以前とは違っているべきだ――一旦、婚約した以上は、結婚して、そんなに大へんよい境遇にはいることができるのを、喜ばねばならぬというのであった。私は、叔母さんの言うことを悪くは取らない。しかし叔母さんは、気の進まぬ最後の理由と原因とを確かに知っていなかった。

午後に、アルベルトがまたやって来た。目立って機嫌が悪く怒っていた。彼は、今日の最後の機会を利用して、きのう断ち切られたばかりの話の糸口を再びつかみ上げた。
『さあ、どうですか? あなたの愛をいよいよ最後に示してくれますか? では、水曜日を、私たちのために取って置いて下さい。ここを朝、立って、木曜日に帰って来たらいいでしょう……』
『いいえ。そうすれば、私はここで家のものに嘘を言い、そして家へ帰ってからまた嘘を言わねばならぬからです。そして、その間に何があるんですか? 結婚しない限り、私はあなたと二人きりで旅行には行きません。私は結婚式の祭壇で、私の花冠を立派に頭にのっけていたいんです。』
『僕たちが婚約したからには、僕はあんたに対する権利、あんたの愛に対する権利を持っているんですよ。少々早かろうが、遅かろうが、一体何の差支えがあるんでしょうか……』
『天主様の掟と矛盾するような権利は、誰も私に対して持ってはいないんです。あなただって、そうです。天主の掟に反するようなことは、あなたは私に、それを知りながら行うことを、求めることはできないんですよ……』
『あんたは、田舎育ちだったことが、よく判りました! 何という旧式な考えを持ち出すんでしょう。我々男性は、その権利をどうしても持たねばならないんです。我々は、愛に対する権利を放棄してはならないんです……もし、あんたが僕を拒むのなら、僕は娼婦のところへ行かねばなりません。そしてその責任は、あんたにあるんです。もしあんたが、ほんのわずかでも僕にする愛をお持ちあわせだったら、あんたは、喜んでそうする用意があるでしょう……私のために喜んで何でもしてくれるでしょう……僕たちが結婚した暁には……』
『もしあなた方男性が、純潔な生活をすることができないものでしたら、天主はそんなことを命じたり、要求なさったりされはしないでしょう。天主は、あなたを、私たちと同様に、よく御存知なのです。そしてもしあなたが今、結婚式まで禁欲生活をすることができないと主張なさるのでしたら、結婚後、あなたが何週間も旅行していらっしゃるとき、どうして私は、あなたの忠実さを信じることができるでしょうか?』
『あんたは、男というものは、女ではないということを、ぜひ了解せねばいけませんよ……』
『私は、自分が純潔のまま結婚しようと思っているばかりでなく、同じように純潔で結婚する男の人が欲しいんです――それ以外の人は、ほしくありません。それぐらいなら、私は独身で暮したいんです。このことについては、もうこれ以上、ひと言もいいたくないんです。』

この縁談は、結局、行くべきところへ、行きついた。その後、あまり経たないうちに、彼は、この婚約は解消されたものと認めるという手紙をよこした。そんな旧式で時代おくれの考えを持つ女とは、とても一緒に幸福に暮して行くことはできないであろうと。
『くよくよすることはないよ、お前。』と当時、私の母は言った。『あの男だと、お前は何も損はしないよ。あれは、お前と結婚する値打ちのない人だ。天主様は、お前がもし結婚したとすると背負わねばならなかったかも知れない十字架を、担わずにすむように、お前をお守り下さったのだよ。だからよく感謝しなくちゃいけないね。』

今日では、私は母の言ったことが、いかに真実であったかを知っている。しかし、当時では、期待していた人生の喜びが、ただ天主の掟を忠実に守ることだけによって、粉なごなになってしまったということを堪えるのは、ほんとに容易なことではなかった。それをやっと完全に凌ぐことができたのは、実は私に助産婦の職業があったためであった。今では、天主は私に対して、結婚とは別のものを望んでいらっしゃるということを、私は知っているのである!

三年前に、そのアルベルト・ベルグは、ここの繊維工場に渉外支配人としてやって来た。当時、彼は結婚していた――しかし、どういうように! 彼は、思う通りの女を見つけた。その女は、結婚前でも、何でも御意のままという女であり――そして結婚後も、その通りであった。夫が家の外で、変わったことを探しまわっている間に、彼女は家の中で、同じようなことをしていた。当時、私は彼女の流産のとき、一度その家に行ったことがある。病毒のためだと、医者は言った。――

それから、離婚が起った。
その後、間もなく、彼はこの村で、二十になる会計係の娘と関係しはじめた。その娘は、彼より二十五も若かった。私は、その男の行状を正確に知っていたので、その母と娘にあえて話して見た。娘さんは、そんな不幸に走りこんではいけないと!
『どうあっても、私たちは結婚するんです。』
『私は娘の幸福を壊すことはできませんよ! まあ考えても御覧なさい、そんな相手というものは、やたらに見つかるものじゃありませんよ……』

私は、出来るかぎりの材料を持ち出して説いて見たが、無駄だった。例えば、あの男は離婚した人だから、カトリック信者の娘は正式な結婚式を挙げることは不可能なこと――年齢の相違――前の結婚のこと―――しかし、すべては無駄であった。

『男の方というものは、放蕩するぐらいでなくちゃいけないんですよ。そうした後で、一番良い夫になれるんです。そんなに收入のある相手……そんな世帯や住宅などのある……そんな相手というものは、そうざらに道端に転がっているものじゃありませんよ……』
結婚したがっている娘たちは、忠告を受けつけない――しかし、結婚させたがっている母親たちは、なお、もっともっと受けつけない!
私が、今日まで解くことのできない謎としていることは、世の母親たちが――自分で結婚の悩みについては、十分に経験を持っているに相違ないのに――よくも自分の娘を、そんなに無責任に、軽々しく、善からぬ結婚をさせようと駆り立てることができるものだということ、しかも、そういうことが繰り返し行われる、ということである。

三週間前に、結婚式が村役場で行われた。もちろん、単に法律上の(教会外の)ものであった。そして、今もう子供が生れるのである……
『リスベートさん、もし私がそれを、もう一度やらねばならぬのでしたら……あなたは、結婚なさらなくて、よかったですね……
子供のことで、もうたびたび喧嘩をしたんです! 今も、もうお産の前にやったんです! とにかく、子供が出来たんですから……今どきは、どんな百姓の娘でも、結婚前に妊娠したら、どうすればよいか知っています……でも、私の母は、それを許しませんでした。母は、こう言いました。あの人は、お前に結婚すると約束なさったのだから、実際、結婚してもらわなくちゃならないんだよ。もしお前が子供を下ろしてしまったら、あの人はお前を勝手にあしらって、見棄てしまうよ、と。そして今、私がここで子供のために苦しんでいる間に、あの人は、カールスルーエのほかの女のところへ行っているんです。というのは、私は昨晚、あの人が急いで行ったため机の上に置き忘れていた手紙を読んでしまったんです……
私が、それを、も一度やらねばならぬのでしたら……』

ああ天主よ、あなたの神聖な道徳律、すなわち、あなたの掟の旧式な時代おくれの規定は、いかに善いものであることか! この掟は、それを忠実に守る人間をば、いかに多くの苦悩と困難とから護って下さることか!、


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