みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

~晴耕雨読~

2005-04-21 04:16:15 | 散歩する
【ちみが大人になってゆく春】

4/19芋焼酎~晴耕雨読~を味見。

これは(自分にとって)美味しくないというのも飲んでみることの意義を実感する。
(自分にとって)これは美味しい、というのがより味わえる。

明太ライス☆☆☆葉唐辛子のおむすび☆☆真鯛と京水菜とライスペーパー揚げのサラダ☆☆☆☆☆米茄子のチーズ焼き☆☆☆マヒマヒのカツレツ☆

転校だらけだった学校生活も楽器をやっていたことも好きな本も映画も、
ちみは全部友達との共有財産にしていく。

『人生に「学力」の意味は』

2005-04-21 03:39:50 | よむ
胸を衝かれる記事があった。

朝、数十分ほどだが電車に乗る時間は座れるためその日は朝刊に目を通していた。
記事の内容は次のようなものだ。

死期の近い重体の伯父さんを見舞った現在大学教授の著者は、かろうじて聴き取れる伯父さんの言葉に触れる。
それは、今、著者の目の前では点滴だけで命をつないでいる伯父さんが自分の人生を振り返る言葉だった。
「頑張った。お金を貯めて自分を守ろうと頑張った。」
「そうやって守るしかなかった。学力がないんだから。」
著者は、間もなくついえようとしている伯父さんの精神に学力という概念が刻まれていることに驚愕する。

この記事を読んで、そういえばそういう時代があった、という感慨を抱いた。
わたしは幼い頃に耳にした自分の父母あるいは祖父母の世代の人たちの話しを思い出した。
高学歴が希少価値を持っていた時代、学が有る無しは、特に無いと自覚せざる得ない人々にとって人生を左右する有力な事柄であり、自分の子や孫に「だから、しっかり勉強せや」という激励につながるものだったのだ。

個々の経済事情と教育事情は密接に結びついていると言われる。
知能の定義も定まらないだろうが、おそらく学力を定義することも相当難しいだろう。
記事の伯父さんの言葉は、学歴主義が幅をきかす社会構造の中で学歴を持たない自分の位置を「頑張る」ことで自衛してきたが、その「頑張り」は終に自分を満たすものとはならなかったことを表している。学力と学歴と経済事情がセットになっている弊害である。

知への欲求が挫かれることのないように、自分の人生を満たすものであるように、と思う。