亡くなった家族の庭を手入れし、残された花達を咲かせたことが
一番の供養だと、勝手に思っているお盆です、
朝パシリ、バシリと写真撮り。
ひどくさびていた一輪車ですが、タイヤを変えると、軽やかに動き出しました、
ゼラニュウムを乗せて置き、雨が降り出すたびに車庫に
ヤットコ、スットコ避難、花の長持ち期待しているよ!
今日は、母と、先祖様とをお墓に納骨する日です、
住職さんはしきりに雨を気にしています、
前日にお寺の納骨堂から家まで来ていたのですが、母だけではなく、
堂の狭いの奥のほうには、親族7人のお骨もありました、
祖父の父親のもあり、約200年近くになるでしょう、
こういう風に分骨して置いておく、システムは、
純粋な肉親を思う人々の気持ちを寺に集めておきたかったのでしょうか?
それとも何時も身近に感じたかったのは、庶民だったのでしょうか?
考えてみると、どちらも必要性があり続いてきたことなのでしょう、
骨箱の中を見ると、14歳(父の弟)、1歳(私の姉)、55歳で亡くなった祖父、
岐阜県から開拓者として入った祖父の両親等、、、、
この中で、戦争と単純な病気を回避できれば、長生きできた人もいて、
残念です、夕べの床の間は、何十年ぶりかに、家に帰ってきた霊者達が、
にぎやかに酒盛りをしていました。
一番の長老は、骨箱と書いて、ろうそくの箱に和紙が一片、
どうぞごゆっくり”
トマトの数ある中には、面白い形も出ます、
昨日、トマトを送った義理の姉と話すと、住んでいる名古屋はひどい暑さで
悲鳴を上げている、本当にお見舞い申し上げます、
私も13年前まで名古屋近郊に住んでいましたが、そのころは、
33度34度が最高で、それでも、その暑さは今も強烈な思い出として
残っています、今日の39,40度は、恐ろしさを感じます。
4千人に満たない人口の夏祭りはささやかですが面白い、
集う人々の大方が顔見知り,ヤア、ヤアで始まる挨拶、
役員の人がだれかれとなく、一升瓶を下げて紙コップにお酒を注いでくれる、
トマト農家の小父と、隣の小母と一緒なので、なおさらお酒が集まる、
周りに気持ちが解放された人たちが大勢集まり、酒盛りをしながら、民謡を聞く、
旅回りの一座でしたが、小父が、
”久しぶりにうまい歌聞いたなー”と言うのが、聞こえた。