今日は、母と、先祖様とをお墓に納骨する日です、
住職さんはしきりに雨を気にしています、
前日にお寺の納骨堂から家まで来ていたのですが、母だけではなく、
堂の狭いの奥のほうには、親族7人のお骨もありました、
祖父の父親のもあり、約200年近くになるでしょう、
こういう風に分骨して置いておく、システムは、
純粋な肉親を思う人々の気持ちを寺に集めておきたかったのでしょうか?
それとも何時も身近に感じたかったのは、庶民だったのでしょうか?
考えてみると、どちらも必要性があり続いてきたことなのでしょう、
骨箱の中を見ると、14歳(父の弟)、1歳(私の姉)、55歳で亡くなった祖父、
岐阜県から開拓者として入った祖父の両親等、、、、
この中で、戦争と単純な病気を回避できれば、長生きできた人もいて、
残念です、夕べの床の間は、何十年ぶりかに、家に帰ってきた霊者達が、
にぎやかに酒盛りをしていました。
一番の長老は、骨箱と書いて、ろうそくの箱に和紙が一片、
どうぞごゆっくり”