引き続き、大学病院付近から大崎八幡宮付近を”街探”しました。
土橋通と角五郎丁の二つの辻標をご紹介。
39番辻標「土橋通(どばしどおり)/十二軒丁(じゅうにけんちょう)」は、
仙台厚生病院の左隣の大きなマンションの南側に設置されています。
「土橋通」は、北三番丁付近から48号線を横切って、
北八番丁に至る通りです。北三番丁と中島丁の間は沢で隔てられ、
東西の往来が不便でしたが、寛永から明暦年間に、
近隣の侍屋敷から人馬を出し合い、底樋を設置し、
深い谷沢に土橋を渡したのが土橋通の名称の由来とか。
「十二軒丁」この辻標から交差点を越え、こばと保育園を通り、
48号線に直進する通り。その名の通り、
武家屋敷が十二軒並んでいたことに因みます。
上級侍屋敷エリアだったので、敷地も九百坪程度の屋敷面積だったのでは、
との推測もありますが、いまは、マンションが立ち並ぶ閑静なエリアですね。
28番辻標「角五郎丁(つのごろうちょう)/中島丁(なかじまちょう)」は、
澱橋に下り降りる途中、尚絅学院中高の南側、澱橋丘庭の前に設置されています。
中島丁は、尚絅学院の北側、かつての12軒丁との間に深い谷”へくり沢”があり、
広瀬川に向かって一段低いエリアで、”中島”のようになっていたので、
中島丁とよばれるようになりました。
へくり沢が散歩道になっているようなので、近々”街探”してみます。
角五郎丁は、この辻標から聖ドミニコ学院付近までの通り。
かつての広瀬川の渡しの渡守角五郎の名から丁名が出来たという珍しい由来です。
昔は御職人の町で、のちに御旗本足軽の丁となりました。
また、幕末には、講武所が設置されていましたが、
現在、跡地には、公務員宿舎となっています。
この付近では、広瀬川澱緑地や角五郎歩行者専用道路が整備されています。
春夏秋冬と風景が変わるのを実感できる貴重なエリアです。
市内ビル群を望みつつ散歩してみたいそんな場所ですし、
仙台名物”芋煮会”には最高の場所ですね。
このエリアも含めて、広瀬川の遊歩道を北から南へ縦断してみようかと思います。
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森