街探”辻標”八十八か所巡り、「大崎八幡宮」周辺の第二弾、85番辻標「伊勢堂下(いせどうした)/半子町(はんこまち)」周辺を街探しました。幕末、仙台藩で唯一、新政府軍に抵抗して孤軍奮闘した細谷十太夫の菩提寺を訪ねることができました
細谷十太夫が着用し、からす組と呼ばれ復元された陣羽織が、東北歴史博物館に展示されているのを思い出し、後日、東北歴史博物館にやってきました。奥には、奥羽越列藩同盟の旗が展示されています
「半子町(はんこまち)」は、北八番丁と土橋通の北西に町割りされた旗本足軽屋敷です。
後に、足軽衆の中から大筒組に取り立てられるものもいて、町名の由来はこの大筒組が後髪を残す剃り方「半髪(はんこう)」に由来しています
通りには、円形の山門が特徴の寿徳寺があり、旧半子町のランドマーク的存在。
「伊勢堂下(いせどうした)」は、伊達政宗が伊勢神宮の両宮を分霊を勧請し、神明社をこの地に建立し、伊勢堂山と命名したことに由来しています
伊勢堂下の通りを下ると、竜雲院に突き当たります、名だたる人々が墓所としていて
特に、あの「海国兵談」を表した林子平、幕末、新政府軍を震撼させた「からす組」で有名な細谷十太夫の墓があります
お寺の左側にお堂ともに林子平のお墓があります
その手前に細谷十太夫の墓があり、幕末の激動期を乗り切り、明治維新後も北海道の開拓や日清戦争にも従軍、ここ龍雲院の住職となり、戦没者を弔いました。
幕末の動乱期に、百姓、町人、さらには渡世人などを糾合し、官軍に戦いを挑む十太夫の奮闘ぶりを作家大佛次郎著「細谷十太夫 からす組(上下)」(徳間文庫刊)でいきいきと甦ります。細谷十太夫をメインキャラクターにした映画、ドラマは確認できませんでしたが、これだけの人物はなかなかいません、是非映像化してほしいものです
龍雲院の側、和菓子の子平堂さんが頑張って営業中でした、子平まんじゅうをお土産に帰宅、ずっと気になっていた細谷十太夫の墓所を”街探”して発見しました
参考資料・引用
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森