仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をウオーキングしながらご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

「町中華で飲ろうぜ」で放送された「ぎん八」は、まさしく地域密着の”町中華”でした。

2023年11月13日 | 町中華

辻標37番「河原町/河原町横丁」の場所を確認したあと、すぐ近くにある

BS-TBSの番組「町中華で飲ろうぜ」放送された「ぎん八」で昼食です。

13時を過ぎていましたが、常連と思しきお客さんで、ほぼ一杯です。

近くのビジネスマンは、混む時間をずらしてやってきます。

奥に座敷もあり、夜は宴会で賑わいのでしょう。

定食メニューもこんな感じです。

付近にほかに中華料理のお店がないのでお値段が少々高いかも。

定番のニラレバ定食です。

ご年配のご夫婦と息子さんの家族経営でしっかり地元に根付いています。

特におかみさんの笑顔が印象深いお店、”町中華”たる由縁ですね。

 

仙台市若林区河原町1丁目3−14 

 
TEL022-266-1065
 
 
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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑯ 南材木町・河原町周辺⑵ 城下町の風情を探して。

2023年11月13日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

南材木町・河原町周辺には、5つの辻標が設置されていますが、ほど近い3か所をご紹介。

57番辻標「南染師町(みなみそめしまち)/南石切町(みなみいしきりまち)」は、

穀町から南に進み、七郷堀を渡り左手に進み、「愛染明王堂」の向かい側の

マンションの一角に設置されています。七郷堀は、この日は、”空堀”状態でした。

「南染師町」は、伊達氏に従って仙台に移り当初は、越路に住んでいた

染師職人が瑞鳳殿造営にあたりここに移されました。七郷堀を利用して

需要の多い木綿染めを扱っていました。

「愛染明王堂」は、京都から分祀され、染師たちから厚く信仰されていました。

堀沿いは、染め物屋の跡地にはマンションが立ち並んでますが、

数軒が頑張っておられます。趣きのある建物と共に、歴史を感じさせます。

「南石切町」は、城下を南に拡張する際、石材需要に対応するため、

石垣衆を配置しました。石工の本場、近江より来た人々で

伊達家ゆかりの墓所、社寺の鳥居や灯籠の製作に従事しました。

町の南端は、南材小学校まで伸びていました。

80番辻標「新弓ノ町(しんゆみのまち)/八軒小路(はちけんこうじ)」は、

八軒中学校の正門脇にあります。「新弓ノ町」は、延宝六年(1676)に

当時の奉行職の布施和泉により新たに組織された御弓組が居住した町。

町内にある八幡神社は、京都の石清水八幡宮の分霊とされています。

「八軒小路」は、南材木町の東から行人塚の北に当たる地域の呼称。

中央に東北本線が通り、東には文化町の住宅街があります。

かつては、北側に人家が八軒程度の寂しい畑地でした。

37番辻標「河原町(かわらまち)/河原町横丁(かわらまちよこちょう)」は、

河原町商店街を進み、旧仙南堂薬店の先から右に曲がる角に設置されてます。

奥州街道は、穀町方面から伸びて、河原町に入り、辻標から右手に曲がり、

長町渡し方面に向かいます。※寛文年間まで橋がありませんでした。

見にくいですが、右手に旧仙南堂薬店の建物があります。

「河原町」は、広瀬川の氾濫で形成された河原地帯です。

渡し場をはさんで城下と在郷の境に位置し、やがて商人や農民が定着、

橋ができると長町宿と共に発展しました。

「河原町横丁」は、河原町から政宗が晩年を過ごした若林城を結ぶ道の西端としてできた横丁です。

河原町商店街の入り口に、和菓子店がありました。

大福からずんだなどいろいろと手頃な値段で取り揃えています。

機会があったら是非、立ち寄りたい場所ですね。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

 

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