今年の大河ドラマ「光る君へ」は、源氏物語の作者 紫式部の生涯をつづる平安絵巻ドラマです。戦国時代物とはまた違い、宮中のドロドロした展開がまた面白そうです。ところで、源氏物語の中の光源氏には、複数のモデルがいたとされています。その中の1人が「中将藤原実方朝臣」といわれています。県道39号線、名取の山裾にその墓所があります。この看板を見たことがありませんか。
掲示板に墓所の説明が掲示されています。
県道から70~80mほど行くとこのコンクリートの橋があります。※駐車場は、さらに10m先に5台分ほどあります。
細い田舎道を進みます。
実は江戸時代、松尾芭蕉もこの地を訪ねようとしましたが、手前で断念、句碑が建てられました。
歴史の表舞台から忘れ去られたような鬱蒼とした竹藪の道を進みます。
たどりついた先に、「中将藤原実方朝臣」の墓所がありました。かつては、五輪塔もあったようですが・・・。
西行法師はここまで来ています、その時呼んだ歌碑です。
どなたが手向けたか、一対の菊の花が寂しげでもあります。
墓の一部でしょうか、かなり欠けています。
案内板によると、藤原実方は、宮中で左近衛中将という役目を担った一方、美形でかつ和歌の才能にも秀でていましたが、宮中内のトラブルで陸奥の国司を命じられます。
阿古耶(出羽国)の松を訪ねた帰り、この墓所から1Kmほど南にある佐倍乃(さえの)神社付近で落馬、そのときの怪我がもとで亡くなります。
佐倍乃(さえの)神社について詳しくは 宮城県神社庁 (miyagi-jinjacho.or.jp)
西行法師の歌に因むすすきが植えられています。
また駐車場の先には、鞍掛け石があり、ここにもまた伝説があります。
県道39号線は、かつての東街道といわれていて、様々な歴史と伝承が入り混じる奥深さを感じます。仙台・伊達藩の歴史を深堀するためにも、名取周辺をもっと”街探”していきます。
後日、佐倍乃(さえの)神社に参拝したブログは こちらへ