仙台街探(まちたん)プラス

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仙台城下町”辻標”八十八か所④と昭和喫茶「エルベ」のクリームソーダで一息

2023年07月30日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

仙台市の”辻標”八十八か所巡り。引き続き、市内中心部をめぐりました。日差しが強い中、歩くのは大変ですが、汗をかいた後のカフェでの休息を楽しみに、5か所の辻標を確認しました。

24番「大町/国分町」

城下町の中心だった芭蕉の辻、仙台城の大手門からの伸びる幹線道路と南町通りから北上してくる国分町通の交差点で、仙台城下を支える経済の中心、交通の要衝でした。日銀仙台支店前に設置されています。芭蕉の辻は、金融と商業の町としての風格を感じるエリアです。

奥州街道の基点を示す道標です。

新たな賑わいの情報発信の場として、「CROSS B PLUS」が誕生、イベント開催などで今、注目を浴びています。

24番「本荒町/良覚院丁」

青葉通り、晩翠草堂前にあります。

本荒町は仙台城開府当時、岩出山から移ってきた麴屋町、いまの荒町に移設されましたが、この場所は、本荒町と呼ばれました。一方、良覚院丁は戦後の復興区画整理で大きく様変わりしたエリアのひとつでしょう。片平の仙台大神宮の右手にある公園が「良覚院公園」として名残をとどめています。

20番「南町/電話横丁」

青葉通りと国分町通の角、NTT東日本宮城支店ビル敷地にあります。南町というと今は、南町通り沿いの限定エリアをイメージしますが、藩政時代、明治初期は、この付近も南町だったようです。明治後半、郵便局と共に、電話交換局が設置され、電話横丁と俗称されました。国分町、芭蕉辻、南町は、仙台藩を支えるご譜代町でした。

かつての仙台市電が、南町通りから分岐北上し、この通りから芭蕉の辻まで伸びていました。(戦時中廃線)いかにこの通りが重要だったかを物語っていますね。

27番「狐小路/南町通」

仙台高等裁判所前の三角公園内にあります。

「南町通」は、かつては狭い道筋でしたが、仙台駅の開業や市電開業とともに大きく道幅を広げ、市内随一の大通りに変貌しました。戦前は、第二師団の多聞師団長に由来し、「多聞通」と呼ばれていました。

「狐小路」は、かつてこの地は、寺院や屋敷街の裏手であったことから、よく狐が出没したことに由来。

10番「教楽院丁/柳町」

かつてこの地には、修験道教楽院がありました。幕末となり、大日坊とも称された。以来、未申(ひつじ・さる)の守り本尊として地元では「大日様」としてしたしまれています。柳町は、ここもご譜代町のひとつで、茶の専売特権が与えられていました。区画整理で五橋通が出来て町の様子が一変しましたが、藩政時代から続く「タゼン」銅器店が商人・職人町の記憶をとどめています。

南町通には、実は、以前から気になっていた”昭和喫茶”「エルベ」があります。

入口のメニューも定番です。看板にあった塩味スパゲティかナポリタンかオムライスを注文しようかと思いましたが、暑かったので、

 

クリームソーダ「ブルーハワイ」にしました。

インベーダーゲームのテーブルが、いかにも”昭和”を感じさせます。

昼時はサラリーマンのランチで混雑するようですが、午後には、気取ることもないので、女性が意外にも多いのもうなづけます。

エルベ公式HPは

喫茶エルベ|仙台駅周辺、一番町のレトロな純喫茶・カフェでコーヒー、ランチ|喫煙可 (kissa-elbe.com)

参考資料

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘  発行所 本の森

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