<320 なっちゃん>
台風18号が先だって日本を襲ったかと思えば19号が追っかけてくる
何やら勢力は19号が勝っているらしい
天地が一たび牙をむくと なすすべも無いオレ達ニンゲン様
あの3.11を象徴する・・・
去るか留まるか
オレの土地が、家が、田畑が
そして思い出がそこにあるというのに
規制線というラインを引かれているフクシマ
ある日一部解除されたそのライン
その“ある日”をどれだけ多くの人々が待ちわびていたのだろうか
「わしゃあ ここに生まれて育った、先祖様から引き継いた土地なんじゃ、守らんと」
「こがいな年になって何処に行けえと言うんかい・・・銭もない」
「子どもの将来を考えたら・・・」
「あの津波の恐怖を思い出すと・・・」
去るか、留まるか
待ちわびていた規制線の撤去
なのに・・・
様々な思い、考えがあって当り前
そんな思いを強いられたあの原発事故
火種は地震という自然の猛威だ
昨日ご案内していた「げんきなこ」のコンサートに出向いた
このコンサートは、
「盲導犬の理解をすすめるキキの会」が主催する
盲導犬のキキと暮らす今井敏代さんのミニミニ写真展での「盲導犬ふれあいコンサート」である

今井敏代さんは
脳腫瘍を患い これまで5度の手術を繰り返し、
悲しいかな視覚と方耳の聴覚をも失った
生きる術を失った今井さんにある日盲導犬のキキが来た
キキは目の光、心の光を失った今井さんの目となり足となり、心となって
前を向いて歩むことを教えてくれたという。
今井さんのそんな生き方は
「げんきなこ」や、私が加入する団体「全国パーキンソン病友の会 広島県支部」の
モットーと相通じるものがある。
広島県支部がモットーとする「ATM運動」
A-明るく ・ T-楽しく ・ M-前向きに
どうでしょう、ATM運動は今井さんの生き方そのものでしょ
今井さんとげんきなこの出会いは、数年前に遡りますが
パーキンソン病友の会が活動の場を拠点とする「広島心身障害者センター」での出会いに始まる
(私の記憶曖昧です)
「げんきなこ」も典型的なATM運動の実践者
かつての元気さんは、患者としての姿をさらけ出したくないと灯りをともす場を避け沈んでいく
その姿を奥様のきなこさんは、挫折していく人間の姿を初めて目の当たりにしたという。
そんな元気さんが出合ったパソコンによる音楽つくりは「げんきなこ」の結成と発展し
今や全国からコンサート等のオファーが続く実力者へとたどり着いている
元気さんはパーキンソン病友の会の広島県支部の支部長と、音楽家としての二足のわらじ
同じ病をもつ患者として、彼らの生き方あり方の真似事は到底できませんが、
病にひるまず前を向く生き方が少しでも近づければと思っている。

今回のげんきなこコンサートには、素晴らしいゲストを招いておられた。
同じパーキンソン病友の会の会員、「なっちゃん」だ
2年前に出会ったなっちゃんは、今時のかわいい普通の女の子
ボランテアさんとして友の会の活動に参加しているものと勘違いしていた
なっちゃんは体に異変を感じたのは10代の半ば、
病名を宣告されたのが18歳
誰だって病気にかかりたくない、たとえ微熱であろうともちょとした腹痛であろうと、
それが進行性の難病、パーキンソン病だよ
なっちゃん逃げるか? 留まるか?
私は44歳で発病した
10年間という長い間隠し通してきたが限界がきた
仕事に支障がきたし、回りのざわめきが聞こえ始め出した
「大上さん何か変、字が読めんね」
高齢者の介護の世界で、パーキンソン病という病を持ったものが
そんな職業についていてもよいものかと自問自答した
結論を自らだした
対象者の方に不安を与えてはいけないと判断
私は逃げたの? 留まったの?
なっちゃんは強い
いや泣き虫かもしれない
泣き虫のなっちゃんが強くたくましくなったのかも知れない
そんななちゃんにとっての「げんきなこ」の存在は
なっちゃんを大きく成長させた
元気さんからは病を持ってもエネルギッシュに前向きな姿を学び
きなこさんからは人として思いやる心と優しさを学んだ
ステージできなこさんから なっちゃんに質問をされた
「なっちゃんの夢は?」
「医学が発展してパーキンソン病が治癒する薬ができると信じている
私の病気が治ったら、 他の難病で治る薬ができず、苦しむ患者さんの
お世話をする職業に付きたい」
若くして自から病をオープンにし、パーキンソン病の理解を求めていく姿
なっちゃんのたくましく力強いメッセージに 私は涙した、
逃げないなっちゃん
難病の宣告を受けたのが18歳
その時から始めたギター
きなこさんとのデュエット 「あけびの実の熟れるころ」を力強く披露した。
今井敏代さんの盲導犬との写真展と、「げんきなこ」のコンサートに多くの方がこられた
そのなかのお一人 逃げずたくましく生きる人を紹介したい
8月20日 広島市安佐南区と安佐北区を襲った集中豪雨による土砂災害は
74名という とてつもない多くの犠牲者と家屋の倒壊など被害をもたらした。
その中に、友の会の会員4名の方が被害にあわれていた
そのお一人、Fさんが車いすでコンサートに来られた
Fさんのお見舞いに行かさせて頂いた時の話し
話しの切り口にビックリ
被害の多かった八木3丁目を襲った一番上の青い瓦屋根がFさんのご自宅
(私は災害発生後、3回現地に出向き災害復旧及び行方不明者の捜索に参加し、青瓦はよく覚えている)
ある日Fさんは薬をもらいに病院に出向いた。
たまたま体調を崩されておられ主治医に相談したところ、2日間の予定で入院となったそうだ。
人生の岐路
何と退院予定日が災害が発生した、8月20日なのだ
この現実、この事実をなんと表現したら良いのだろうか
まさに急死に一生とは、このことを言うのだろう。
傾き壊れたご自宅に戻ると、土砂で詰った家の中に墓石も混ざっていたという。
また、ご自宅の近所のお方、左右と前の住人は亡くなられたそうだ。
そんな悲しみに覆われているなか
Fさんには愛唱歌があるという 「○○歌手の○○○曲」(ごめんなさい、忘れてしまいました)
「この歌が好きでカラオケで良く唄うんですよ」と言われる
きっとFさんの応援歌なんでしょうね
最後にこんな力強い言葉に、見舞いに行った私の方がエネルギーを頂くことに
「この様に被災したのは運命、既に決まっていたこと、要はこれからどう人生を送るか
それが大切なんですよね」
「カラオケは好きですが、行きませんか」と・・・。
逃げるのではなく、留まるでもなく
去るでもなく 内に収めるでもなく
くじけない強靭な気持ちを持つ、
明日があるんだ、明日が来るんだ
Fさんの明日を生きる力強いメッセージに安堵した
今井敏代さん
トリトンくん(今井さんの現在のパートナー3代目のトリトンくん)
げんきなこさん
なっちゃん
お疲れ様でした。
素敵なコンサートをありがとう



実は私も「似顔絵ラブレター」を歌わせていただいた。薬の調整に失敗し、
呂律が回らなくなり、げんきなこさんに迷惑をかけました。




「げんきなこ」の親衛隊


「げんきなこ」が誕生した日にファンになられた古原さん
手作りの「げんきなこ団扇」を配ってくださった。

PTA活動で知り合ったきなこさんの友達「やまちゃん」
げんきなこの成長を撮り続けるセミプロのカメラマン
私はやまちゃんを撮ろうとしたのか、バックの女性下着を撮ろうとしたのか?

盲導犬たちとのふれあいタイム






コンサートのスタッフさん。似顔絵の希望がありましたが画材なし。
受付の鉛筆を借り、画用紙は購入された本を入れる紙袋
消しゴムはなく一発で決めるしかない、初めての経験だ。
<320 なっちゃん>
2年前に尾道の福屋百貨店にて展示会を開催したおり
会場に来てくれたなっちゃんを描きました。
若い女性に胸を強調してごめんなさい。
自分では気にいっている作品です。