父の退院が決まりました。
今回は早かったです。
来週からはまた仕事が忙しくなるのと、今回はそんなにおおごとではなかったので、退院のお迎えは近所の父の友人にお任せしました。
田舎はご近所づきあいが密なのでこういうとき助かります。
今の職場は、無理を言えばきっと休みをもらえると思いますが、これからも何があるのかわかりません。大丈夫なうちはお任せできることはご近所や親戚に任せたいと思っています。
去年の夏も父は入院していました。去年はかなりおおごとで、3か月近く入院していたので、ブラック企業で疲弊していた私は、父のことでさらに精神的に限界でした。
この1週間はずっとこの時のことを思い出していました。
例のつるし上げ会議があったのは去年の8月上旬でした。
↓この記事のことですね。
引き止められたくて言ってるんじゃない! - 元名ばかり管理職(年収180万!)の借金返済日記
この直後はさすがに嫌気がさして、もう今後は休日をしっかり取って、転職活動をしようと決めた矢先、父の入院がありそれどころではなくなりました。
借金を重ねながら毎月働いていましたが、次の仕事を決めずに辞めてしまうとますます借金を増やすだけになります。退職金すら出ない会社だったので。。
社長や周りの管理職とはぎくしゃくしたままだったので、父が入院したことも伝えていませんでした。毎日顔を合わせることがなかったこともあるし、プライベートなことを話せる信頼は、もう持てませんでした。
そして私の店舗の定休日を週2日にし、しっかり休むことに決め、週に1回は父の病院に通っていました。
10月末、休みの前日に社長、管理職、コンサルとの飲み会を開くので来るようにと部長から要請がありました。この時初めて父が入院しており、休みの前日は仕事が終わると実家に帰っていると打ち明けました。飲み会に行きたくないのが本音でしたが、私には社内のコミュニケーションを円滑にしたいなどという気持ちはもう全くなくなっていたし、それなら少しでも父のところに行ってあげたいと思っていました。
病名まで告げたので、さすがに部長も驚いて無理じいはしませんでした。
その数日後、このことを知った社長がやってきて、父の病状を根ほり葉ほり聞いてきました。
その聞き方がデリカシーがなさすぎて、答えるのも嫌になり適当に答えていましたが、社長は私が何を思っているのかもまるで気づかず、ますます一人でしゃべりまくっていました。
揚句、「年よりなんか誰でもそのうち死ぬんだから、若い者がくよくよ悩んで犠牲になることはない。俺なんかもう3年も前におやじをなくしたからもう何とも思わない」と言われました。
その瞬間、私は「わたし辞めます!」と唐突に言い放ったと記憶しています。
はっきり言って、その時まで辞めるつもりは全くありませんでしたが、この社長の言葉が信じられなくて、こんな人が経営する会社にいたくないと直感で悟ったのだと思います。
言った直後は「私、今何いったんだろう?」と自分でも驚きましたが、今はこの決断に後悔はありません。
この後、社長や部長とは修復不可能なほど決裂してしまいますがこれも後悔はありません。