山元利成さんは10年前から「呉観光ボランティアの会」の会長を務め、地域社会の発展に日夜努力を続けている。
山元さんは呉観光ボランティアだけでなく、広島県青少年健全育成会議、広島県青少年育成アドバイザー、クレアドベンチャースクールなど数多くの団体の役員をしており、そのバイタリティと職務遂行能力は周囲の人たちから高く評価されている。
本日は、「呉観光ボランティアの会」での活動内容を伺った。
詳細⇒http://www.epocaclub.com/
<一言メモ>
山元さんはほんとうに忙しい人だ。取材するのに、彼の時間がとれなくて苦労した。呉観光ボランティアの会のほか、10以上もの団体の役職をしているのだから忙しいのも仕方ないと思ってあきらめた。
それにしてもこれらの仕事はすべてボランティア、つまり無報酬なのである。交通費など諸雑費はすべて自己負担とのこと。よくやると圧倒された。
山元さんの観光案内に帯同してみた。「てつのくじら館」を説明する山元さんはまさにプロだった。そのほかに、江田島航路フェリーや観光バスに乗り、ボランティアの方の案内を聞いたが、たいへん熱心でわかりやすく楽しかった。
山本さんから聞いた次の話は心に残った。
『観光ボランティアをしていて、忘れられないことが2回ありました。
一度目は、高齢のご夫妻を案内したときのことです。90歳を過ぎていると思われるご主人が思いつめた表情で言われました。
「呉にいたとき、敵機の空襲を受けました。私は機関銃で必死に応戦しました。それは最後の戦いになったんです。その場所は軍港が見える山の斜面でした。私は死ぬまでに、その場所に一度立ってみたいと思い続け、ここにきました。どこかわかりませんでしょうか」
私はある場所を思い出しました。おそらくそこだろうと思い案内しました。そこに着くとご主人は周囲を見回していましたが、
「ここだ。ここだ」
と言われました。これを聞いて奥さんは
「来て良かったですね」
と涙ぐまれていました。
二度目は、60代ぐらいの男性の方でした。
「1歳のとき、呉市の面会所で父と別れました。それから父は戦死しました。私はものごころがついてから、父と別れた場所に行きたいと、いつも思っていました。呉にはそんな面会所がありますか?」
「戦時中海軍の集会所になっていた施設があります。現在は自衛隊が使っています。おそらくそこでしょう」と言って案内しました。
その方はその施設に入ると、食い入るように周囲を見回していましたが、
「これで安心しました」
と言って帰って行かれました』
一度お会いして名人のガイドを聞きたかった。。。
本当に残念です、、、大きな損失です。お悔やみ申し上げます。