25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

5Gって

2019年10月22日 | 社会・経済・政治
 「5G とは何か」という新書を読んでいる。最初に4人の日常生活や仕事、遊びが5G時代にはどうなっているのかを想定したところから始まる。
 例えば、ある女の子はライブにいくことになって、スマホでライブ会場の駐車場にまだ駐車できるスペースがあるかチェックする。あったので、車で行こうと思い、カーシェアリングをスマホで確認し、自分の車保険も徐々に安くなっていることも嬉しい。こういう情報もそのときにわかる。駐車場に着くと、車を自動運転に切り替える。「車庫入れ」は自動運転にまかせたほうがよい。
 ライブの会場ではそのライブを撮っているカメラの映像がスマホに映り、正面アップでも、横顔アップでも、間近にいかなくてもスマホで見える。
 ライブが終わって、興奮冷めやらぬので、友達と夕食を共にすることになり、車で出向く。お酒を飲んでしまった。友達は飲まなかったので、車は友達が使えるようにした。自分は電車で帰った、という話である。
 別のは工場勤務の会社員。もうひとりは71歳の初老の男性。

 5Gとはこんな想定しかできないほど間抜けたものなのか。大容量超高速低遅延。映画は数秒でダウンロード。多チャンネルの利用はIot(物と物とのインターネット)を可能にするらしい。5Gのスマホも大容量、超高速と言っても、ゲームをするものにはいいかもしれないが、必要あるか? 遠隔医療なんかでは必要があるのかもしれない。自動運転なんか必要ある? せいぜい路線バス、空港内トレイン、工場内くらいじゃないのか、と思う。

 5G導入でまた多くの家電や車も変わるのだろう。それを買い替える動機が強くある?
 専門家に言わせれば便利になることはまだいろいろあるのだろう。でもねえ、と言いたくなる。1ギガのものをダウンロードするのに、仮に20分かかったものが2分になったとしてどれだけの経済効果があるのかぼくにはわからない。

 ぼくは5Gを否定しているのではない。この書き手がこのくらいの想定しかできないのなら5Gも普及するのはまだまだのことだろうと思うのだ。
 しかし5Gを強力に推し進めているファーエイを抱える中国のアメリカや韓国がこの5Gの覇権争いをしている。
 You Tube のようなものはさらに進化できる。テレビ局以外のネットテレビ局は発展するチャンスが生まれる。家の中の家電や設備は「声」ひとつで制御できるようになる。外からでもビデオを撮り忘れができるようになる。
 それがどうした? 人類の進歩に役立つというのか。

 こんなことを夢想する。ミサイルや核ミサイルに、ちょっとした目に見えないくらいのチップを善意のミサイル管理者が張り付けてしまえば、ミサイルは発射できなくなるとか、打ち上げても戻ってしまうとか、そんなものができないか、と思うが、5Gとは関係なくきっとできるに違いない。

 今ぼくは開発を終えたアプリを世界の145か国に販売の開始をしようと悪銭苦闘している。これはスマートフォンの登場までは考えられなかったことだ。おそらくは十年前はもっとシンプルだったのだろう。誰かが悪さをしたり、教育上よろしくないものが出てきたり、アプリ内に詐欺的な巧妙な仕組みがあったり、それでgoogle Play にアップしていくのも複雑怪奇になってしまったのだろう。毎日ひとつずつ、でやっている。本当に毎日ひとつをなんとか解決すると次でまたつまってしまう。こういうのはAIでやってくれるのだろうk。🙇
 これは5Gとは関係がないのだろうか。