25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

熱狂

2019年10月12日 | 文学 思想
国民的熱狂をつくり出し、国民的熱狂に流された愚かさが満州事変から始まり
降伏するまでの日本人。ただ国民は310万人という死者をだして責任をとったとぼくは言いたい。半藤一利の「昭和史」を3回目、読み終えた。3回読んでも出てくる主要登場人物の名前を覚える気にならない。内閣や参謀本部や軍司令部のエリート軍人達は目を覆いたくなるほどのアホさであった。勉強ができるものも、記憶力が良いものも、学歴があるものも、一様に熱狂によってアホ化することをよく示している。

 日本人は分析をすることが苦手のようである。精神や観念の方に行ってしまう傾向がある。小泉純一郎が首相になったときの熱狂も、その息子進次郎環境大臣が首相候補だと噂されることも、日本人は戦前とそれほど変わっていないことを示すのかもしれない。よく分析してみれば、資源、兵力は英米にかなうはずもなかった。日ソ中立条約を信じきってしまって、米英戦終了の仲介をとってもらおうと、返事をポチのごとくに待つ。その間に、広島、長崎に原爆を落とされる。

 戦争中に日本人が判断し、したことを「なかった」ことにしてしまおうとする言説が未だにある。
 昭和史はをは半藤一利の「昭和史」と 吉田裕の「日本の兵士」、それと吉本隆明の「戦争論」を読んでおけばよいと思う。ゆめゆめ、北朝鮮や韓国にたいして熱狂的にならないのが現在のぼくらがとるべき態度である。

 こんなことを書いているうちに台風が東の海を通りすぎていった。