25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

母が転んだ

2017年11月24日 | 日記

 起こるかも知れないと思ぅていた。朝早く、母から電話がかかった。トイレで転んだという。起き上がれず、ぼくに電話しようにもできない。一時間かけて、必死でほふく前進したらしい。電話機は高いところにある。電話のコードを引き、やっと電話ができた。ぼくはまだ眠りの中にいて、不機嫌に出ると、トイレで転んだ、起きられん、助けに来てくれ、という。

 廊下で横伏せになっている。古武術の技を知っていたので、まず、振り子の原理を使って尻で座らせ、キツネコンコンの腕組で立たせた。そして腕をくぐって、腹に腕をあて、反対の手で組む。そうやって歩かせる。これは自慢話である、とてもじゃないが緋とが一人持ち上げることなどはできるものではない。萩野アンナが甲野善紀から習ったことを本している。それで知っていた。

 ベッドに寝かせて様子をみることにした。家に戻り、再び寝た。今度はデイケアのケアマネージャーからだった。「痛がってます」ということだった。ああ、やっぱりか。実家に向かった。相当痛がっている。ケアマネのHさんが車で運びましょうか、と言ってくれる。それは無理だとわかる。こういう場合は救急治療だ。下手したら骨を折ってしまうかもしれない(もう折っていたのだが)。救急車を呼んだ。二分もしないうちに救急車がきた。三人の男が必要だった。

 股関節の骨頭が折れていた。人工のものを張り付けるんだそうだ。袋のなかに骨頭が守られるようにあるらしく、これを切り取らなければならないらしい。このため、治ってからも、ちょとしたことで、またやるらしい。

 今日手術が終わり、明日からリハビリ。筋力がないから転んだのだ。再びのリハビリ。その意欲がまた自立生活ができるかどうかにかかわる。生きる意欲だ。92歳である。88歳の時に車に跳ねられた。重傷だった。しかし甦った。

 この事故も前の事故の影響だと言えなくもないが、母も人生イヤいなるだろう、と思う。それを励ますのがぼくの役割である。平坦な人生などないと思うが、事故は突然である。躓かないよう気をつけたい。