25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

節分豆まき稀勢の里

2017年02月03日 | 日記

  節分豆まき稀勢の里、成田山新勝寺。節分会は、立春前日に災厄をはらい一年の幸福を祈る伝統行事だそうである。

  家の裏の通りではヤーヤ祭りの祷屋があるらしく、太鼓の音が間断なく聞こえてくる。七時半にもなると旧町の若者らが祷屋の前で「チョーサ」の練りがある。それを見にいく。

 昔は2週間にも及ぶ長い祭りだった。現在は5日間である。この祭りの頃が一番寒い。「垢離掻きがありますので、ついていってください」と提灯をもった年輩の男が案内する。これから若いもんが海の中に全裸で飛び込んで浄めるのである。

  明日から春か、と思うと毎日水やりしている植えたばかりの眠っているような樹木が春にどんな姿を見せるのか楽しみでしかたがない。はたして移植に成功し、根を張っただろうか。花は咲くのだろうか。木瓜の花三種。芍薬、石楠花、牡丹、連翹、万作、桃。山茶花の花は終わりに近づき、もうすぐ木蓮の花が咲きそうである。なんだか趣味みたいになってしまって、毎日様子を見る。

 今夜も「チョーサ」は続く。祭りの若いもんは警察に見守らて、練りをし、酒を飲み、汗から酒の香りを出し始める。昔、幼い頃、父たちの「チョーサ」はすごかった。チョーサの勢いで警察を襲撃した、と聞いたこともあったので、父がヤーヤに出ていくと恐ろしかった記憶がある。その若者の数も多かった。中井町は人で溢れた。

 その頃から尾鷲の人口は半分になった。34000人あたりがピークで今は17000人台である。住民票をまだ移していない人も考えれば、もしかして16000人なのかもしれない。う~ん、と唸るくらいである。