25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ブツブツ

2015年06月25日 | 日記
現在の日本は本当は身悶えしているはずだと思うのに、カラ元気で、ちぐはぐな状態にどっぷりと居座っているように思える。
生産台数が減っているのに、円安のおかげで、この差益を享受する輸出企業。ドルベースでこの2年の間に700兆円失っているのに、株価が上がりつづけるという奇妙さ。円安とJR料金の高さで、外にも出ない内向きの人々の絆の蔓延傾向。外交をすればお金をばらまいてくるし、新国立競技場といえば、ロンドンオリンピック競技場の650億円をはるかに凌ぐ2500億円のものを建てるという。
一方で、介護認定は厳しくなり、高齢者の自己負担も増える。景気はちっともよくなっているという実感はない。輸入品が上がっていくばかりである。財布のヒモはますます固くなる。
空き家がもうじき400万件になろうとしているから、家を建てても土地の値は特定の場所を除いてはそう価値のあるものではない。家の始末をしなければならない人はますます増えるだろう。まして、東北大震災以来、南海トラフだ、関東大地震だとテレビは騒ぐから、危険地域は空き家だらけとなっている。それだけよびかけるなら、固定資産税を下げてはどうか、と言いたくなるが、なにせ、国には1000兆円を越す借金がある。
道路も、橋も、公共建築物も維持していかなければならない。
日銀の計画も達成できていない。異次元の金融緩和はまだ続いているが、今年の末あたりで、アメリカは金利上げに転じる気配である。するとドルはまた高くなるはずだ。

ここにMERSでも入ってきたら、どうなることだろう。

とこんなことをブツブツ思っている。せめて高速道路を無料にしてほしいが、震災があって、復興のためにと、終わってしまった。企業は人と接することで活発化していくと思うが、地方の零細、中小企業には外に出るな、と言っているようなものだ。

と、まだまだブツブツは続く。
デフレ時代に企業は死に物狂いで安い商品を見映えよく作ってきたように思える。円高のおかげもあったかもしれない。それが値上げをせざる得なくなっている。
僕の母は毎日夏みかんを食べたがる。A店では、3個で450円。B店では9個で400円。
近所のC店では、なんと今日行ってみたら3個で100円にしてくれた。どうなっているのだろう。

おそらく、もう手の打ちようがないのだろう。経済学者も、政治家も、もうなにがなんだかわからないのだろう。
核をもった国どうしが戦争すはずもないと思うが、尖閣のために、日本はアメリカとの同盟を強化し、後方支援するから尖閣を守ってね、と言っているようなものである。
アメリカを巻き込めば核をもった国との戦争になるではないか。

昔、中国とソ連との仲が悪くなったとき、毛沢東は、1億人死んだって中国はなんということもない。食わせる分が減って助かるぐらいのもんだ、というようなことを言ってソ連の度肝も抜いたという話を聞いたことがある。真偽のほどはわからないが、中国の人口では、あり得そうな話だ。アメリカではそうはいかない。日本では、今は一人でも死んだらおお騒動だろう。
そういう中国とは仲よくすればいいのだ。それは外交である。日本は侵略したことを謝り続けたらいいのだ。土下座してでもだ。そして、それでリセットするのだ。これをやってのける器量の政治家がでてこないものか。

まだまだブツブツは続くのだが、最後にベートーベンの弦楽四重奏14番はベートーベンの最高峰ではないかと思う。最後の弦楽四重奏曲 作品131であり、大フーガの前に作曲されている。力強く、型破りで、美しくもあり、脳みそがくすぐられるし、骨や筋肉も振動させられる。

悪女について 再び

2015年06月25日 | 文学 思想
有吉佐和子の「悪女について」を再読して、小説構成のうまさと、どこかミステリアスなストーリー展開と、人間というのは、超多面性、というより無限の多面性をもつ生き物なんだ、と再認識した。

 もしも、あなたが、50人の人と知り合いならば「50通りのあなたがいる」 30億人の人が知っていれば「30億通りのあなたがいる」ということになる。つまりは、人というのはわからない、自分というのもわからない、ということになる。
 鈴木君子という八百屋さん生まれの娘は、まず、母親は養母だと嘘をつく。父はどこか高貴な人で、事故で死んでしまった、と嘘をつく。これが彼女が(お金という意味で)成功していく始めである。次に、名前を変える。富小路公子とどこか家族っぽい名前に変えるのである。これはペンネームと同じようなものだから、嘘とまではいかないが、ベースとして一番最初の嘘のうえに成り立っている。16歳の頃には三人の男とうまく交際する。それぞれに嘘はついていないのだが、他に交際している男性がいないかのように振舞う。彼女は朝も、昼も働き、夜は夜学に通い、簿記の一級までとる。税理士もできるのである。常に法律の本を読んでいる。

 やがて第一番目の子供を妊娠し、これを三人の男にそれぞれ告げるが、自分で育てる、迷惑はかけない、という。ところが二番目に付き合っていた男の戸籍に入れてしまう。結婚届もだしている。これが大きな二番目の嘘である。男親は慰謝料や養育料として5000万円を渡す。
 大金を手にした彼女は、ここから大躍進していくのである。三番目の男は宝石店で成功している。彼はラーメン屋からのしあがった男である。男に宝石の見分け方を教えてもらいながら彼女はラーメン屋、宝石店と働き、宝石の鑑定のしかたをおぼえていく。やがて、彼女は手切れ金としてはラーメン屋をもらうのではなくて、逆に買い取るのである。すでに隣の土地は買ってある。日本橋の一等地である。値上がっていく土地を担保に彼女は大きなビルを建てる。

 と、このようにのしあがっていくのだが、どうやら彼女が死ぬまで週に1度か2度会う、本当に好きな男が三人の中にいたらしい。富小路公子について27人の人がそれぞれに語るのである。ほとんどの人が彼女を絶賛している。読む側はそのそれぞれの語り手の内容を吟味しながら読んでいくことになる。そこで、「あれ?」と思うことが出てくる。こんなところが有吉佐和子はうまいのである。謎解きをしている感覚になる。また、27人の職業から、その職業の内容を知ることにもなり、教養小説としても読める。普通知りえない世界の職業的な説明もしてくれる。例えば、宝石について。あるいは服飾について。あるいはダリアについて。

 以前読んだときは興味もなかったことが今回は興味をもって細部まで読めるようになっている。おそらくまた忘れてしまうのだろうが。
 「青い壺」に続いて読んだのだが、今日は朝から図書館に行って、「開幕ベルは華やかに」を借りてきた。僕にとっては村上春樹の唯一読んでいない「スプートニクの恋人」を読み始めたのだけど、これは自分の所有物なので、先に、「開幕ベルは華やかに」を読んでしまおうと思っている。