25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

可愛い笑顔の青年の死

2015年06月01日 | 日記
 岡田さんから井上修一が交通事故で死んだことを聞いた。ちょうど僕がバリ島にいる5月25日のことだった。修一は教え子で、彼が高校生の頃はよくテニスにも付き合ってもらった。いつも笑顔が可愛い、人当たりのよい少年だった。修一の母親は僕が高校で教育実習をしていたときの生徒で高校3年生だった。印象によく残る、笑顔とシリアスな表情をいつでもオン、オフ、できる可愛い女性だった。記憶では高校を卒業して間もなく(というのは1年か2年か定かではないが、僕にはまもなく、という感じだった)結婚をした。僕が29歳の時に修一が生まれたのだから、やはりまもなくのはずだ。

 彼が高校を卒業して、ホテルオークラに修業にでた。ほどなく尾鷲に帰ってきて、しばらくしてから彼はキャバクラを開店した。僕は寿司修行のケツを割ったのかと思った。キャバクラは大いに盛り上がったらしく、2店舗、3店舗、新宮の方へと経営を拡大していったらしい。人の噂話にものぼる存在となった。本人と会ったときには、寿司と兼業していると言っていた。

 6年前に偶然にあった時はいっぱしの実業家のような口ぶりをしていた。それ以後何回か電話をもらったことがある。ゆっくり話がしたいということだったが、互いの時間が合わずだった。

 そして昨日の岡田さんからのニュースである。本当であるのかどうかネットで確かめてみた。すると彼は、京都のリッツカールトンの寿司コーナーの「寿司マエストロ」に変身していた。彼のスピーチが大きな会場で行われ、彼は「寿司の可能性」を述べていた。可愛らしさは変わらないがやはり大人になっている。尾鷲の「曙鮨」が実家である。彼は短い人生のどこかで「寿司の可能性」を見出したのだろう。ネットでは「寿司アーティスト」と呼ばれていた。彼の死を悼むコメントが多く寄せられていた。
 ニュースによれば、追い越してきたトラックのミスに巻き込まれたらしい。接触されたのかもしれない。被害者は修一だった。路肩に止めて、トラブルの処理をしていたときに後続のトラックが前方不注意で突っ込んできた。修一は車の中にいた。病院に緊急に運ばれて1時間半で彼の命は終わったということだった。35歳。人生の黄金期。
 なんということだろう。これからがエネルギッシュに寿司を極めていく時期である。
 両親の「曙鮨」で僕の息子が「将太の寿司」という漫画を見て、シャリに爪楊枝を突き刺し、米が崩れずにもち上がったら、本物の寿司職人だということを知って、こっそりとシャリに爪楊枝を突き刺して持ち上げたことがある。息子は驚いていた。寿司は崩れなかったのである。

 修一が帰ってきて、彼の寿司を爪楊枝で刺したことがある。そのときはバラバラとシャリが崩れてしまって大笑いしたことがある。もちろん修一も苦笑いしていた。

 キャバクラを終えて、何が心に起こったのか、僕は知らない。わかるのはスポットライトを浴びて、寿司を語る修一の姿と言葉である。「もしかしたら寿司は世界にまで到達できる食べ物ではないか。」「寿司は五感をくすぐる」というようなことをステージで言っていた。惜しいとしかいいようがない。寿司をデザインの視点からも、触覚という視点からも、あらゆる感覚からとらえなおしてみようという態度。これが彼の命とともに惜しまれる。追悼。
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